瀬戸市東茨町、西茨町、東権現町、原山町、萩殿町1丁目、同3丁目 16.40ha
南公園は、瀬戸市のほぼ中心に位置し、東部・北部は中心市街地、南は菱野団地をはじめ市街化が進展する地区に接した緑豊かな丘陵地である。自然環境を活かした整備を進めることにより、自然と調和のとれた全市民のいこいの場として、また芸術・文化に親しむにふさわしい場所として順次整備された。
文化都市にふさわしい文化の殿堂となる、文化ホール・展示ホール(現市美術館)・ふれあいホール(現文化交流館)をもつ「文化センター」が昭和57年(1982)10月14日にオープンした。また、昭和62年(1987)4月にはナイター付きの野球場がオープンした。
広い芝生広場と道具広場がある公園としても整備されている。道具はコンビ遊具と長いアミの遊具で、コンビ遊具には短いローラー滑り台もあり、小さい子どもたちも楽しむことができる。
公園内の東は小高い山になっており、散策しながら、治山工事の歴史や技術を学ぶことができる。この「萩殿の森」は、8haの雑木林を愛知県が平成16・17(2004・05)年度に整備したものである。
⇒萩御殿を参照
投稿者: setopedia
東公園
ひがしこうえん
瀬戸市中山町、一里塚町 総合公園 21.50ha
市街地をとりまく周辺緑地ゾーンに属し、市街地の東南方向の丘陵に位置する。宅地開発の進行により、市街地に接する自然緑地が徐々に減少する傾向にある中にあって、できる限り自然を保全しつつ、位置的には市街地に近接するため都市的な利用にも対応ができるよう、市民全般の休息、観賞、散歩、遊戯、運動など多目的に利用されることを目的とする総合公園として計画された。
野球場を中心とした施設ゾーン(9.0ha)と生活環境保全林「中山の森」の自然環境ゾーン(15.7ha)とに大別されている。施設ゾーンには、野球場、テニスコート、多目的広場、ベンチ、東屋、遊歩道、植栽、児童遊具等が設けられている。また、「中山の森」は、自然林との調和を図り、四季折々の変化を楽しませてくれる樹木を多くとり入れた。春の息吹を感じさせる早春の森、明るい芝生広場、眺望絶景の市民の森、東側アプローチにある紅葉の森、野鳥の森に分かれ、散策路で結ばれ、自然観察、森林レクリェーションに適するよう整備がされている。昭和55年(1980)に着工し、段階的に整備するなかで昭和61年(1986)4月に竣工をみた。
陶祖公園
とうそこうえん
瀬戸市須原町、紺屋田町、藤四郎町、東印所町 特殊公園 5.80ha
瀬戸川上流の右岸小高い山の上に陶祖公園は位置し、明治43年(1910)に陶祖700年祭が行われ、初めて公園の設備がなされた。公園内には鎌倉時代から近代までの窯跡もあり、古くは庚申山、藤四郎山といわれて、瀬戸の人々から親しまれてきた。幕末の瀬戸の名工加藤岸太郎が中心になって成形・焼成、慶応3年(1867)に完成した日本最大級の陶製碑である。この陶碑を製作するにあたっては、北新谷の丸窯の中で造り、焼成後窯の入り口を壊して取り出し、コロを用いて庚申山まで運んだと伝えられている。高さ4.1m日本で最も大きいこの焼物は、昭和49年(1974)に瀬戸市の文化財に指定されている。
陶祖碑の建設より5年遅れて、明治5年(1872)陶祖碑の正面下段に一対の焼き物の灯籠が寄進された。陶祖碑の製作者加藤岸太郎がおよそ1年がかりで製作した。陶製志野焼燈籠は、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎の6部分から成り、陶製燈籠としてはわが国最大級の規模と最高の作行を誇るものである。平成5年(1993)に瀬戸市の文化財に指定されている。
陶祖800年祭記念事業として、六角陶碑堂や「六角藤棚」の整備をはじめ、青磁と瑠璃の陶柵の復元、加藤昭男制作の陶祖像の設置、瀬戸陶芸協会会員による階段蹴上げのタイル装飾やスツールの設置など、装いも新たになった。陶祖公園の園銘碑の園名板は、総持寺貫首の江川辰三禅師によるものである。
野球場としての陶祖グランドや防災緑地としても整備されている。
⇒瀬戸公園を参照
⇒六角陶碑を参照
⇒志野焼燈籠を参照
陶祖グランド
とうそぐらんど
瀬戸市須原町101番6 瀬戸市の中心市街地の東端陶祖碑のある丘の北部に位置し、陶祖公園の一部となっている。竣工は、1981年(昭和56年)9月30日、グランド面積は6,400㎡、左右両翼は71m、センターは80mである。
瀬戸公園
せとこうえん
瀬戸市藤四郎町
瀬戸川の右岸、公園橋の北詰に公園の入口がある。古い昔では庚申山あるいは禅長庵山と呼び、慶応2年(1866)に加藤四郎左衛門景正の顕彰のため六角陶祖碑が建立されてからは藤四郎山と呼ぶようになった。公園として開園するに至ったのは明治43年(1910)4月陶祖春慶の七百年祭を執行した時からで、「瀬戸公園」と名付けられた。平成26年に陶祖800年祭記念事業として、園名を「陶祖公園」として再整備された。
陶祖碑の正面下段に一対の灯籠が明治5年(1872)に寄進されている。灯籠は石造りが普通であるが、陶器で製作したところが瀬戸らしい。公園のシンボル、陶祖碑を大切に保存するため昭和44年(1969)地元篤志家の寄付で、鉄筋2階建のお堂を建設して中に陶祖碑を納めている。
園内の山腹には、明治19年(1886)に有栖川宮殿下をお迎えしたときに名付けられた竹露庵がある。
昭和26年(1951)に周辺部分を含み、陶祖公園として都市計画決定された。
定光寺公園
じょうこうじこうえん
瀬戸市定光寺町
昭和39年(1964)4月11日 定光寺檜山遊園地として開園。日本の公園の父と言われる本多静六氏が設計に携わった。
JR中央線「定光寺駅」から約15分の場所に位置し、六角堂の浮かぶ正伝池を中心とした公園で愛知高原国定公園に指定されており、桜の名所としても有名。近くには臨済宗の古刹「定光寺」があり本堂や徳川義直公廟は国の重要文化財に指定されている。紅葉の時期には、境内の周りが色づき非常にきれいである。
また、一帯は定光寺自然休養林として国が管理しており、キャンプ場やアーチェリー場、森林交流館などの施設がある。休養林内には東海自然歩道やこもれびの径などの散策路もあり、歴史を感じながら自然を満喫できる。
平成26年に開園50周年を迎え、4月29日に六角堂の弁天様御開帳や移動動物園、ステージイベントなど、記念イベントが催された。
磁祖公園
じそこうえん
瀬戸市東安戸町、道泉町、西谷町、窯神町 地区公園 1.50ha
都市計画決定の面積は12.1haであるが、供用開始しているのは窯神グランドの1.5haである。公園全体の整備計画は今後の検討となっている。
さくら公園
さくらこうえん
瀬戸市宮地町地内にある公園で、広さは1.3ha。近所の子供たちに人気があり、春にはきれいな桜が咲く。
岩屋堂公園
いわやどうこうえん
瀬戸市岩屋町
岩屋堂とは、天然の大きな岩の祠(ほこら)のこと。約1200年前に、時の聖武天皇の病の平癒を祈願し、この岩窟内で名僧「行基」が彫刻した仏像のうち、薬師仏を本尊とした岩屋山薬師堂に由来していると言われている。
緑いっぱいの渓谷の中を清流の鳥原川が流れる岩屋堂公園は、愛知高原国定公園に位置し、桜、ほたる、水遊び、紅葉、東海自然歩道の自然散策など1年を通じて豊かな自然と遊ぶことができる愛知県内でも有数の人気スポットとなっている。
○岩屋堂公園の夏の見どころ・魅力。
夏には、川をせき止めた水遊び場が造られ、バンガロー村ではバーベキューが楽しめる。
・バンガロー村(日帰りのみ)
園内には、氷やジュース、五平餅、みたらし団子などの軽食を販売する売店も期間限定でオープンし、ファミリー層を中心に賑わう。展望台からの眺望、奇岩や滝など雄大で迫力ある自然の景観を楽しむことができる。
・川をせき止めた水遊び場(天然プール)
地元の岩屋堂観光協会が鳥原川をせき止めてつくる水遊び場は、昔から「天然プール」の愛称で広く親しまれている。川幅は15mほど、全長40mにわたって川底にコンクリートが敷かれており、自然の河原と異なりデコボコが少ないので、比較的小さなお子様でもお父さん、お母さんと一緒に気軽に入ることができる。水深は、通常浅いところで大人の足首程度から深いところで膝下ぐらい、水温は20~23℃で心地よい冷たさを実感できる温度である。
・瀬戸大滝
川沿いを公園の奥に向かって歩いてゆくと舗装道路が青い欄干の「かじか橋」を通って続いていく。この橋を渡らずに未舗装の遊歩道をまっすぐ進むと瀬戸大滝に到着する(天然プールからは15分ほどの距離)。落差17mで川床に下りてしぶきを浴びるぐらいの距離まで近づくことができる。
愛・パーク(瀬戸万博記念公園)
あい・ぱーく(せとばんぱくこうえん)
瀬戸市上之山町2丁目、吉野町 街区公園 0.79ha
平成21年(2009)3月20日、愛・地球博の開催成果である「市民参加」、「交流」、「環境」の理念を未来へ繋げるため、愛・地球博瀬戸会場の跡地を瀬戸市の新たなシンボルエリアとして瀬戸万博記念公園「愛・パーク」としてオープンした。
公園内には国内外20の陶磁器産地から集まった皿や子供たちがワークショップで描いた皿30,000枚で制作された愛・地球博瀬戸会場のシンボルモニュメント「天水皿n」がある。
また、会場には国際ソロプチミスト瀬戸が提唱した「百万本の森基金」による植樹も行われている。