かも

かも


瀬戸川流域の水質改善が整うようになった平成10年頃から、それまで馬ケ城水源地に生息していたかもが瀬戸川流域に飛来するようになった。

オオタカ

おおたか


タカ目タカ科に属し、北半球の温帯から寒帯にかけて広く分布する森林性のタカである。主に留鳥であるが、北方の個体群の一部は南方に渡って越冬する。愛知県内における分布状況は、平成13年から15年にかけて愛知県が実施した調査によると、県内の低地から山地まで市街地を除くほぼ県内全域で確認されている。

 体長は雄で約47~52.5cm平均50cm、雌で約53.5~59cm平均56.5cm、翼開長は約106~131cmであり、白い眉斑と太くて黒い眼帯と黄色またはオレンジ色の目が特徴である。国内で繁殖するオオタカは法律に基づく国内希少野生動植物に指定されており、環境省のレッドデータブックにおいて絶滅危惧Ⅱ類に選定されている。また、愛知県においては準絶滅危惧種に選定されている。
 平成11年1月公表の2005年日本国際博覧会会場計画の候補地である瀬戸市海上地区でオオタカの営巣が確認されたため、愛知青少年公園を主会場とする計画に変更、当初の会場候補地である海上地区は会場規模を大幅に縮小された。

オオサンショウウオ

おおさんしょううお


国指定特別天然記念物  所在地 瀬戸市下半田川町

現存する世界最大の両生類である。1952年(昭和27年)に国の特別天然記念物に指定されている。成体は全長60~80cm程度のものが一般的であるが、120cmを超えるものも確認されている。頭部と口が大きく、口を大きく開けるとその身が裂けたようにみえることから、「ハンザキ」とも呼ばれる。前足は4本、後足は5本の指を持つが、足は短く小さい。
 西日本を主な生息分布域としており、瀬戸市はその東限とされている。瀬戸市では北部を流れる蛇ヶ洞川で生息がみられ、現在までに54個体が発見されている。生息環境保存のため、2002年の河川改修工事の際には人工巣穴が設置され、そこでの産卵も確認されている。また瀬戸市では2010年に「日本オオサンショウウオ大会」が開催され、地元の下半田川町に全国からオオサンショウウオ研究者や保護活動家が訪れた。現在は人工巣穴清掃や夜間観察会、河川清掃などの保護活動が瀬戸市と瀬戸オオサンショウウオの会(下半田川町)により毎年行われている。

オオサンショウウオは現存する世界最大の両生類で、昭和27年に国の特別天然記念物に指定されている。その棲息範囲は瀬戸市以西の本州・四国・九州の一部とされ、現在のところ瀬戸市が分布の東限と考えられている。
瀬戸市では下半田川町地内を流れる蛇ヶ洞(じゃがほら)川や日向(ひおも)川に棲息しており、調査によってこれまでに53個体が確認されている。最大の個体は全長102センチあり、平均75センチ前後の個体が最も多く見つかっている。オオサンショウウオは夜行性のため、日中は川の中の岩陰などに隠れてその姿を見ることはできないが、夜間に餌を求めて出現する。8月から9月頃が産卵期で、10月から11月頃に孵化した体長5センチ程度の幼虫が広がる。
下半田川町には河川工事に伴って設置された人工巣穴があり、その繁殖を願って毎年7月頃に人工巣穴の清掃が行われている。

粘土層

ねんどそう


瀬戸陶土層は、一般に下部より八床珪砂層、水野粘土層に区分されており、水野粘土層の比較的上部に木節粘土が堆積したものである。
粘土層は、基盤のくぼみに断続的に堆積したもので、多くは珪砂層の上位にあるが、その間連続して分布していない。粘土は、主として細粒雲母質砂質粘土(キラ層)・含石英粒粘土(蛙目粘土)・灰白色粘土・青灰色粘土または含炭質物粘土(木節粘土)などからなり、主として花崗岩類の風化分解物からできたものである。粘土の多くは淡青色ないし灰白色で、レンズ状に粘土混り細粒砂の薄層を挟在しているが、粘土成分の特に多い所に、細粒石英と長石風化物と思われる乳白色の粘上が混じって、蛙目粘土に似た様子を示すこともある。しかし、蛙目粘土に比較すればよく淘汰されている。粘土層中、最も良く分級淘汰された粘土が木節粘土である。暗灰色、時には黒色に近い色をし、炭質木片を挟有していて植物化石もほとんどこの層から産出している。

瀬戸陶土層

せととうどそう


瀬戸陶土層は、一般に下部より八床珪砂層、水野粘土層に区分されており、水野粘土層の比較的上部に木節粘土が堆積したものである。
八床珪砂層は、主として石英砂(珪砂)よりなり、含石英粒粘土(蛙目粘土)になっている部分があるが珪砂にわずかな粘上が入っており、そのほか長石・有色鉱物・重鉱物の混った砂層である。分級淘汰を受けているので偽層も見られる。蛙目粘土と珪砂は、複雑に入り込んで堆積しているが、全体的にみれば蛙目粘土がレンズ状の層となっている。
水野粘土層は、基盤のくぼみに断続的に堆積したもので、多くは八床珪砂層の上位にあるが、その間連続して分布していない。粘土は、主として細粒雲母質砂質粘土(キラ層)・含石英粒粘土(蛙目粘土)・灰白色粘土・青灰色粘土または含炭質物粘土(木節粘土)などからなり、主として花崗岩類の風化分解物からできたものである。粘土の多くは淡青色ないし灰白色で、レンズ状に粘土混り細粒砂の薄層を挟在しているが、粘土成分の特に多い所に、細粒石英と長石風化物と思われる乳白色の粘上が混じって、蛙目粘土に似た様子を示すこともある。しかし、蛙目粘土に比較すればよく淘汰されている。粘土層中、最も良く分級淘汰された粘土が木節粘土である。暗灰色、時には黒色に近い色をし、炭質木片を挟有していて植物化石もほとんどこの層から産出している。

瀬戸層群

せとそうぐん


伊勢湾から濃尾平野の周囲に鮮新統といわれる砂礫を主とする河成・湖成層が厚く堆積している。これは、この地区を中心として隆起山脈の形成と他方で沈降盆地が生ずるような地殻運動が鮮新世に起こり、その結果、盆地内に周囲の隆起山地から供給された砂礫を主とする堆積物が形成された。それらは、濃尾平野東部では瀬戸層群、知多半島では常滑層群、三重県では奄芸層群と命名されている。
瀬戸層群は、下位から上位へ瀬戸陶土層、矢田川累層(水野砂礫層・尾張夾炭相、猪高相)に区分できる。

菱野断層

ひしのだんそう


瀬戸地域には、笠原断層、暁断層、菱野断層及び猿投山北断層からなる主要な断層がある。
菱野断層は東南東-西北西方向であり、東南東方向の延長は花崗岩類の中へ入り不明である。本断層の南側には基盤の花商岩が露出し、やはり南側の地塊が隆起している。

猿投山北断層

さなげやまきただんそう


瀬戸地域には、笠原断層、暁断層、菱野断層及び猿投山北断層からなる主要な断層がある。
猿投山北断層は北東-南西方向を示し、花崗岩類の中を通っている。本断層は、花崗岩類に幅約1mの明瞭な破砕帯として確認でき、深い断層谷として追跡できる。瀬戸市域では断層の南東側の地塊が地形的に高く、北西側地塊に分布する水野砂礫相などは、南東側に分布しないことから、南東側地塊の隆起と考えられる。
瀬戸地域は、東南東-西北西方向の断層運動と猿投山を中心とする地域の隆起によって地質構造が発達した。断層運動は、品野層堆積後から現在まで継続して活動していたと推定され、花崗岩類が侵食されてできた堆積盆地内に品野層が堆積し、断層運動を受けて部分的に侵食され、地形は平坦化された。品野層の上に花商岩の風化物が瀬戸陶上層として堆積し、断層運動を受けわずかに侵食作用を受け、その上に矢田川累層が堆積し、再び断層運動を受けたと考えられる。

笠原断層

かさわらだんそう


 瀬戸地域には、笠原断層、暁断層、菱野断層及び猿投山北断層からなる主要な断層がある。
笠原断層は、東南東-西北西方向の明瞭な断層崖を示し、地形によって追跡できる。また、この断層は定光寺町付近で分岐し、北側を笠原北断層、南側を笠原南断層とした場合、笠原南断層は東南束の延長部で明瞭な断層崖(地域外)を示す。両断層とも南側が上昇している。

暁断層

あかつきだんそう


 瀬戸地域には、笠原断層、暁断層、菱野断層及び猿投山北断層からなる主要な断層がある。
暁断層は旧開発鉱山内を通り、東南東-西北西方向である。東南東方向の延長は不明であるが、片草川沿いに花崗岩が侵食され破砕状であり、片草川の北側に品野層が分布し、南側に分布しないことなどから断層が推定される。