瀬戸市小中学校社会科研究会

せとししょうちゅうがっこうしゃかいかけんきゅうかい


1945年(昭和20年)代から社会科教育の研究と、会員相互の親睦を図ることを目的に活動している。授業研究部、資料研究部、郷土史研究部の3つの部会に分かれて研究をすすめている。授業研究部は、よい社会科の授業への研究を深め、県の研究大会等で発表し、1987年(昭和62年)度には、県の代表に選ばれて全国の研究大会に参加している。資料研究部は、社会科の授業に役立つ資料の研究をすすめ、そこから発展して副読本「せと」(小学校用)と「瀬戸」(中学校用)が生まれ、現在は市の委嘱を受けて、本会の会員が編集委員となって3年ごとに改訂を行っている。郷土史研究部は、瀬戸の昔話「花川」と「りゅう」が生まれ、「瀬戸の石造物」へと続いている。他に親睦をかねて、尾張旭市と合同の京都方面への古都探訪。また、県内や市内のフィールドワークを行っている。

瀬戸市小中学校国語研究会

せとししょうちゅうがっこうこくごけんきゅうかい


小中学校の国語教育の推進力となる先生たちで組織されている。毎年1回の総会をもち、年間の事業計画を決定し、その計画に従い、研究を推進している。研究分野を表現・理解の二分野に分け、それそれの部会が研究テーマをもち、研究をすすめている。表現部会は「子どもの表現力を高めるための手だての工夫」、理解部会は「説明文の読み取りの手だての工夫」を研究テーマにしている。今後は、表現力と理解力をからめた指導法の研究へと進んでいくと考えられる。一方、教師としての自己研修を深めるために、年1回研修会を開いている。「子どもの作文の見方」「わかりやすい話し方」等、教育技術面でも研修を深めている。年間の研究のまとめとしての研究紀要も毎年発刊し、研究の足跡を残している。

瀬戸市小中学校音楽教育研究会

せとししょうちゅうがっこうおんがくけんきゅうかい


瀬戸市の小中学校の教職員の希望者にて組織されている。会の目的は会員相互の親睦を深め、瀬戸市の音楽教育の向上を図ることである。実技研修として各種楽器の演奏法、その他合唱指導法、音楽の授業研究、創作指導、音楽の評価・達成度の基準について、音楽の鑑賞、音楽室の環境・備品について等を行っている。また、瀬戸市民祭の鼓笛パレード・合同演奏・吹奏楽フェスティバル、瀬戸市小中学校音楽会、創作曲集「私のメロディー集」の発行、音楽鑑賞会、瀬戸・旭地区吹奏楽フェスティバル、瀬戸市小中学校音楽関係のクラブ・部活動発表会等を行っている。

社会福祉法人 瀬戸市社会福祉協議会

しゃかいふくしほうじん せとししゃかいふくしきょうぎかい


昭和26年(1951)8月創立。昭和44年(1969)7月社会福祉法人となる。昭和57年(1981)10月より瀬戸市文化センターふれあいホールに事務局を設置。主な事業として社会福祉振興活動、援護活動、福祉のまちづくり事業、奉仕(ボランティア)センターの運営、児童生徒福祉活動、母子・父子福祉活動、老人福祉活動、身体障害者福祉活動、精神薄弱者福祉活動、福祉教育活動、家庭奉仕員派遣事業、ふれあいホールの管理・運営(1・2階の一部:団体会議室、トレーニング室、娯楽室、児童室、図書室)、心配ごと・法律・結婚相談所の運営、瀬戸市福祉奨学金支給事業など行っている。年間行事の主なものとしては、毎月の理事会、2~3回の評議員会、7月ふれあいのつどい、10月の瀬戸市社会福祉大会があり、昭和63年度と平成元年度は、国から福祉ボラントピア事業都市に指定を受けボランティア活動推進事業をとりくんでいる。福祉協議会は単年度の会員制度をとっており、一般会員約7、000名と30の(福祉)施設会員がいる。会員は居住連区別(14連区)に、『支会』を組織し、支会長を中心に地域に密着な、きめ細かい福祉活動を実施している。また、瀬戸市共同募金委員会、瀬戸・尾張旭・長久手地区献血推進協議会、瀬戸市自治連合会連絡協議会などの事務局も併設し、共同募金運動の推進、献血運動の推進、連区自治会相互及び市当局との連絡・調整を行っている。

瀬戸市子ども会連絡協議会

せとこどもかいれんらくきょうぎかい


瀬戸市役所こども家庭課内
 一般に子ども会と呼ばれるのは、「就学3年前から中学3年生までの子どもたち」とその世話人が町内単位で組織される単位子ども会であり、通称「単子」と呼ばれる。これらの単子子ども会を学区ごと世話人で組織するのが連区子ども会連絡協議会で、通称「運協」と呼ばれている。さらに、これらの単子・運協全体を組織するのが、この瀬戸市子ども会連絡協議会で、「瀬子連」呼ばれている。瀬子連は常任理事となる有志市民で構成され、毎年、瀬戸市からの支援を受け、子ど会全体の運営や地域子ども会のサポートなどを行っている。

瀬戸市公民館協議会

せとしこうみんかんきょうぎかい


瀬戸市の公民館は、早くから住民の自主性を尊重した企画・運営(瀬戸市公民館方式)で、地域に根ざしたきめ細かい公民館活動を展開し、地域の特色や住民ニーズに的確に対応した事業が意欲的に行われ、まさに時代を先取りした取り組みであった。学習、文化、スポーツ活動、住民の連帯感や共同意識の醸成、住みよさの向上、住民相互の親睦や交流などの公民館活動を通して、魅力あるまちづくり・人づくりが展開されてきた。

更生保護女性会

こうせいほごじょせいかい


瀬戸市追分町64-1 瀬戸市役所福祉課内(事務局)0561-82-7111
瀬戸市更生保護婦人会として、昭和25年(1950)11月24日設立。犯罪を犯した人や非行におちいった青少年の立ち直りを助けるとともに、犯罪や非行のない明るい社会をつくることに貢献しようとする有志婦人の団体である。犯罪や非行少年の改善更生を助けることや、犯罪や非行を防止するためには、公の機関だけは十分な効果を挙げることは難しく、地域社会に住む人々の積極的な協力と参加が必要である。主な活動としては、瀬戸少年院の各種行事の激励、特に毎月の誕生会には会員の3~4名が激励に訪れている。毎年7月の法務省主唱の“社会を明るくする運動”、瀬戸市青少年センターの非行防止パトロール、ミニ懇談会には、学校の先生・PTA・保護司・民生委員の方々と協力し環境浄化活動・青少年を悪い環境から守る運動に参加している。又、チャリティーバザーや年末募金活動を行い、収益金等を社会福祉施設に寄付している。

柴田 明

しばた あきら


有線七宝 瀬戸市指定工芸技術 1件
平成22年6月18日指定
保持者 瀬戸市今池町 柴田 明 昭和17年7月16日生

近代七宝は尾張海東郡服部村(名古屋市中川区)の梶常吉に始まるとされる。天保四年(1883)頃に完成されたという七宝技術は海東郡遠島村(現在の七宝町)を中心に発展し、現在の尾張の伝統的工芸品と成るに至った。
保持者は三重県四日市市生まれ。愛知県立瀬戸窯業高等学校を卒業後(株)安藤七宝店に入社した。安藤七宝店は明治13年創業、尾張近代七宝技術を継承してきた会社で、保持者は伝統技法を踏まえた作品づくりを50年にわたって続けてきた。
保持者の作品は有線七宝の技法で、デザイン・素地の加工・模様付け・施釉・焼成・研磨という多くの工程を全て行っている。経験と高い技術が必要であり、まさに熟練の技が要求される。保持者は昭和45年以来日本伝統工芸展に36回入選、審査委員も努める日本を代表する七宝作家である。

加藤 唐三郎

かとう とうざぶろう


陶芸 御深井 瀬戸市指定工芸技術 1件
平成20年5月9日指定
保持者 瀬戸市窯元町 加藤唐三郎 昭和23年10月21日生

 保持者は瀬戸の陶祖藤四郎の系譜に連なり、江戸時代尾張藩の御用窯を勤めた。初代唐三郎(家祖)の12世唐三郎(俊郎)の次男(幸次)として生まれた。愛知県立瀬戸高等学校卒業後作陶活動に入り、先代の下で伝統的な技術を学んでいった。同家では代々黄瀬戸・御深井・織部・安南手などの食器・茶器・装飾具などを焼成することを受け継いできた。保持者は家業の傍ら、先代に倣って日展に出品する。さらに瀬戸工芸会に入会し、東海伝統工芸展・日本伝統工芸展にも積極的に出品していった。保持者は黄瀬戸に中心を置いた活動を行ってきたが、唐三郎窯の独特な御深井釉の釉調を重視する御深井焼にも力を入れてきた。伝統工芸界では本地域を代表する作家であり、後輩の育成や陶芸文化の向上にも尽力している。

林 邦佳

はやし くによし


陶芸 色絵磁器 瀬戸市指定工芸技術 1件
平成19年5月18日指定
保持者 瀬戸市泉町 林 邦佳 昭和24年11月3日生

 保持者は千葉市に生まれ日本大学芸術学部彫刻科に進むが、在学中に東京国立博物館での「東洋陶磁展」を観て、中国明代の作品に衝撃を受け陶芸の道を志す。その後工業技術院名古屋工業技術試験所の研究生・職員して、中国陶磁の青磁や染付の研究を重ねた。八木一夫から「独学に勝る勉強はない」と教えられ、昭和49年に独立、独自に中国古陶磁技術を追い求めてきた。この中国古陶磁研究は、主に元代染付、明代の染付・白磁・豆彩・五彩・金襴手等に及びその技術の詳細な報告論文や実際の作品は各界から高く評価されている。