太刀銘助重

たちめいすけしげ


国指定工芸品 1口
大正8年4月12日指定 所在地 徳川美術館(寄託) 所有者 定光寺
文化財 長さ70.3センチ 時代 鎌倉時代中期

尾張藩三代藩主綱誠が藩祖の所縁の定光寺に寄進したもので、助重は備前国吉岡一文字派の刀工である。刀身は断面が菱形になる鎬造(しおぎづくり)で、刃の反対側の棟は山形になる庵棟(いおりむね)になる。磨(すり)上げのために反(そり)は浅く、先幅は細くなっている。鍛えは板目、刃紋は中直刃(なかすぐば)に逆足入りである。茎(なかご)は磨上げ、柄(つか)を刀身に固定する目釘孔が2個付けられている。長さ70.3センチ、反1.8センチ、元幅2.9センチ。
付属の糸巻太刀栫えは総金具、赤胴魚子地金小緑色絵丸に葵紋散らし、柄と渡巻は紺地金襴包み浅黄糸巻き、鍔(つば)に「岸本氏泰幸作」と切附銘がある。

太刀銘助重
太刀銘助重柄

陶製狛犬

とうせいこまいぬ


国指定工芸品 1躯
大正元年9月3日指定 所在地 瀬戸市深川町 所有者 深川神社
文化財 高さ51センチ 時代 鎌倉時代(伝陶祖藤四郎作)

狛犬は通常は阿吽(あうん)一対で、神社境内の守護などのためにつくられる。深川神社の神宝である陶製狛犬は瀬戸の陶祖藤四郎が製作して奉納したと伝えられる。現在残っているのは口を閉じた吽型の一体のみである。この狛犬は陶製としては大型で、高さ51センチ、胴径24×39センチあり、へらの痕も鋭くたて髪は櫛目を使って美しい。全体に淡黄緑色の灰釉が施されている。前脚が江戸時代の神社火災で損失し、木で補修されている。
大正2年に国宝に指定されたが、昭和25年の文化財保護法で重要文化財に指定された。なお近年の窯跡調査で本例に類似した窯跡の出土例が殆ど見られず、室町時代初頭のころまで制作年代を下げて考える説もある。

深川神社の陶製狛犬

源敬公廟

げんけいこうびょう


国指定建造物 7棟
昭和12年8月25日指定 所在地 瀬戸市定光寺町 所有者 徳川義崇
文化財 源敬公墓(周囲石柵付)、唐門(平層門・銅瓦葺)、焼香殿(単層・寄棟造・銅瓦葺)、宝蔵(単層・寄棟造・銅瓦葺)、龍の門(四脚門・入母屋造・銅瓦葺)、築地塀(延長71間・銅瓦葺)、獅子の門(四脚門・切妻造・檜皮葺) 付参道・殉死者の墓・石柵4所
時代 江戸時代前期

慶安三年(1650)に没した尾張藩の藩祖徳川義直(源敬公)の廟で、その遺命により定光寺に築かれた。廟は帰化明人陳元贇(げんぴん)の設計により、儒教式廟建築形式をとった。同四年に山腹を3段にならして墳墓と石標を造り、翌承応元年1652)に門・焼香殿(祭文殿)・宝蔵(祭器庫)・築地塀などを完成した。

焼香殿・宝蔵
源敬公墓
唐門

定光寺本堂

じょうこうじほんどう


国指定建造物 1棟
大正15年4月19日指定 所在地 瀬戸市定光寺町 所有者 定光寺
文化財 一重裳階(もこし)付・入母屋造・柿葺 付宮殿1基
時代 室町時代後期

定光寺は建武三年(1336)平心処斎によって開かれた禅宗寺院である。その後火災や地震等の災害を受け、現在の本堂も天文元年(1532)の火災後、同三年に再建されたものである。
本堂は桁行5間・梁間5間の正方形で、裳階が付いているため、2階建てのように見えるが、実際は一階建てである。昭和12年の解体修理の際に、禅宗様の入母屋屋根を架け、上層部を復元した。屋根は厚さ3ミリの薄い柿葺きである。組物や桟唐戸、本尊が納められている厨子などは典型的な室町時代中期の禅宗様式である。

定光寺本堂

馬ヶ城水源地・浄水場

うまがしろすいげんち・じょうすいじょう


瀬戸市馬ヶ城町
 瀬戸市街地の中央を流れる瀬戸川沿いに、尾張瀬戸駅から多治見方面へ10分ほど車を走らせ、右折して山あいに入ると緑豊かな風景に変わる。「馬ヶ城浄水場」と縦書きの表札が見えてくる。
 資料によると、昭和6(1931)年に着工、翌年に竣工している。同8(1933)年に給水を開始している。設計者不詳、施工者石川鎌吉他4名、事業費約69万円。広大な敷地に管理棟・濾過地・貯水池堰堤などが配置されている。管理棟は木造洋小屋平屋建で間口7.5間、奥行き4間の長方形のシンプルなプランである。屋根半切妻屋根(ドイツ破風)、スレート菱葺、換気用飾り窓を設けている。近年、屋根は銅板葺に替え、旧寄宿室は展示室に改修されたが、創建当時の雰囲気は失っていない。
 三つの濾過池は石積み造で今でも現役である。1日最大5200立方メートル、瀬戸市内野約1割の水を供給している。水の濾過には創建当時から緩衝濾過方式を採り、濾過池は下から玉石・砂利・濾過砂の順に積み上げ、濾過速度は1日3~6メートルと遅く、微生物の働きと自然の浄化機能を利用して濾過することから水がおいしいという特性がある。反面、大量の供給水のためには広大な敷地が必要とされ、戦前はともかく現在は濾過速度が速くて敷地面積が少なくて済む、薬品を用いた急速濾過方式が一般的になり、本浄水場の方式は全国の5%たらずという。
馬ヶ城貯水池の総貯水量は24万立方メートルである。(『保存情報Ⅱ』)

瀬戸メサイア合唱団

せとめさいあがっしょうだん


「瀬戸に宗教曲を歌う合唱団を」と平成2年(1990)3月に創立し、以来、一貸して「メサイア」を歌い続けている。平成12年(2000)ドイツのハノーバー万博を機にドイツ親善演奏旅行を実施し、平成15年(2003)モーツアルト「レクイエム」演奏会を経て、同年再びドイツを訪れ親交を深めている。平成22年に・創立20周年記念・瀬戸市制施行80周年記念演奏会「メサイア」全曲演奏会を、平成26年創立25年記念・陶祖800年祭記念事業「ミサ曲ロ短調」を披露している。
 毎年、クリスマス・チャリティコンサートを開催している。

瀬戸第九をうたう会

せとだいくをうたうかい


『瀬戸第九をうたう会』は、昭和59年(1984)5月に瀬戸市および近隣地域の合唱愛好家とこれを支える市民有志により「ベートーベン作曲交響曲第9番『合唱付』」を地元で聴くために結成された。その傘下に市民が第九を合唱する『瀬戸第九合唱団』も誕生し、以来今日までの30年間に合計16回に及ぶ第九の演奏会を瀬戸市文化センターホールで開催。オーケストラについては、名古屋フィルハーモニー交響楽団にお世話になりつつ、21世紀に入ると瀬戸第九をうたう会を母体として誕生して発展した『瀬戸市民オーケストラ』が担うようになって今日に到っている。この間、第1回昭和59年(1984)12月8日、指揮:外山雄三、演奏:名古屋フィルハーモニー。第2回昭和60年(1985)12月27日、指揮:サー・アレキサンダー・ギブソン、英国。第3回昭和61年(1986)12月18日、指揮:井上道義。第4回昭和62年(1987)12月26日、指揮:小澤征爾と続き瀬戸市の年中行事とした。また合唱指揮者として東京より関屋晋先生を始め、西野隆三先生、水谷俊二先生を迎え、そのレベルアップに努めた。
また、2005年国際博の折には次期国際博開催地の上海の『上海交響楽団』から11名の団員を招聘してともに第九演奏会を開催、2011年〝杭州〟の博覧会にも出演するほか、陶祖800年祭記念事業に協賛し「藤四郎賛歌 」を作詞作曲し披露するなど、交流を世界に広げつつ地元で地域音楽文化の一隅を担う役割を果たし、また果たすことをめざしている。

瀬戸市和太鼓連盟

せとしわだいこれんめい


瀬戸子供太鼓こまいぬ座、みずのお狩場太鼓、天くう、窯っ鼓、鼓風楽、瀬戸北総合高等学校、聖霊中・高等学校、狛犬社中の和太鼓団体で構成。毎年、瀬戸市文化センター文化ホールで「和太鼓の祭典」が開催されている。平成22年の上海万博での演奏に続き、平成27年8月にはイタリア・ミラノ万博での演奏を行っている。

瀬戸市民オーケストラ

せとしみんおーけすとら


瀬戸市民オーケストラは、愛知県 瀬戸市 を拠点に活動するアマチュアオーケストラ。昭和57年(1982)の瀬戸市文化センターの完成を契機に、瀬戸地域の音楽文化の向上を目的として、昭和59年(1984)に瀬戸第九をうたう会が発足した。そして、瀬戸市民オーケストラは、合唱ばかりでなくオーケストラも市民の手でとの掛け声のもと、瀬戸第九をうたう会が中心となって、昭和61年(1986)に結成された。年月を経るにつれ、構成メンバーも充実し、現在、瀬戸市およびその周辺の名古屋市、 尾張旭市、 春日井市 などに在住の会社員、主婦、学生などにより構成されている。97年4月の第10回定期演奏会では、結成以来の念願であったベートーヴェンの交響曲第9番を、瀬戸第九合唱団とともに演奏した。98、99年の11月には豊田シティバレエ団と共にチャイコフスキー/くるみ割り人形を手がけた。
毎年6月には定期演奏会を行い、ベートヴェンの交響曲など親しみやすい曲や、まだ名の知られていない曲を紹介しようと回を重ねて、平成29年度で30回を数える。また、12月頃には、クラシック音楽に親しんでもらおうと「ふれあいコンサート」を中心とした演奏会を開催している。

瀬戸児童合唱団

せとじどうがっしょうだん


昭和63年(1988)に発足。いきいきとして楽しく歌える合唱団を目指し、県下・国内の多くの合唱団と交流を行っている。また、韓国、ニュージーランド、ドイツ、中国への演奏旅行を行うなど、国際交流を進めている。平成21年には文化協会の「つばき賞」を受賞している。