石燈籠(八幡社)

いしどうろう


瀬戸市指定建造物 1基
平成5年2月19日指定 所在地 瀬戸市八幡町
所有者 八幡社(境内)
文化財 総高178センチ
時代 江戸時代前期(延宝七年)

八幡社は江戸時代には山口村及び近隣村の総氏神として崇敬されていた。明治5年に郷社に列挌され、幡山地区及び長久手上郷地区24ヵ村の総社となった。
瀬戸市内最古の石燈籠は旧下品野村神明社の石燈籠(明暦四年銘)で、本件はそれに次いで古いものである。石燈籠は花崗岩製で、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎の6部分に別れ、笠には六つの太い蕨手が付く。三味線胴型にふくらんだ六角火袋、力強い竿は大振りで堂々としており、均整がとれている。「延宝七己未九月十五日」の記年銘がある。境内にある石造鳥居も同時期に築造されていることから、この頃に大規模な神社の再建が行われたようである。

石燈籠(八幡社)

石燈籠(神明社)

いしどうろう


瀬戸市指定建造物 1基
平成4年2月21日指定 所在地 瀬戸市落合町
所有者 神明社(境内)
文化財 総高196センチ
時代 江戸時代前期(明暦四年)

神明社は旧下品野村の氏神であり、その由緒には「社伝明らかならずも、本朝元中七年(1390)後亀山天皇の御世創設」とある。
長い石段を登った本殿前にある六角円柱型の石燈籠(花崗岩製)は、瀬戸市内に在るものの中で最古の記年銘をもつ。総高196センチ、宝珠と笠の部分が一体化し、特別な装飾をもたないシンプルなものとなっており、保存状態も良好である。竿の銘文に「奉壽進御寶前 明暦四年戊戌林鐘吉日 下品野村村上長次郎寄進」とある。村上長次郎は、品野窯を再興した加藤新右衛門系譜にある人である。そのため、藩政時代の下品野村における窯屋の由来を知る歴史性も有している。

石燈籠(神明社)

直入橋

ちょくにゅうばし


瀬戸市指定建造物 1橋
昭和58年6月1日指定 所在地 瀬戸市定光寺町
所有者 定光寺
文化財 石造、長さ9.4メートル、幅 2.6メートル
時代 江戸時代前期(承応二年)

応夢山定光寺の参道入口の池に架かる橋で、「直入橋」という。『尾張名所図会』の中では「下馬橋」と記されている。この橋は尾張藩二代藩主徳川光友が、時の奉行熊谷政実に命じて架設させた石橋で、承応二年(1653)2月に着工し、同年5月に完成している。
直入橋は全て花崗岩製で、その構造は池両岸の石積みに長さ6m以上もある3本の橋桁を渡し、その橋桁に主な橋部を組み合わせている。江戸時代には、池に蓮を植えたり、参道に桜並木を作るなど、橋と良く調和した風景であったため、定光寺における優れた景勝である「応夢山十境」の一つとされていた。

直入橋

一里塚本業窯

いちりづかほんぎょうがま


瀬戸市指定建造物 1基
昭和50年7月21日指定 所在地 瀬戸市一里塚町
所有者 水野雅之
文化財 全長16メートル・最大幅9メートル
時代 昭和25年再建

「本業窯」は連房式登窯の一種で、江戸時代以降専ら陶器本業製品を焼成する窯として使用され、磁器製品を焼成した「丸窯」と共に瀬戸を代表する窯炉であった。
本窯は昭和25年に東洞町に在った13連房の奥洞窯の窯材を使用して再築したもので、胴木間・捨間・四の間までの焼成室、煙室(コクド)など以前の構造をよく残している。昭和50年に文化財指定を受けるまで、火鉢・水甕・擂鉢などを年3回ほど焼成していたが、擂鉢だけなら約1万個を焼成することができたという。昭和63年に、窯鞘(屋根)の葺替工事を実施している。付属するツク・タナ板などの窯道具類も指定に含まれている。

一里塚本業窯

陶製狛犬コレクション

とうせいこまいぬこれくしょん


県指定有形民俗 210躯
昭和59年3月30日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 時代 室町時代~大正時代

陶製狛犬は瀬戸・美濃の窯業生産地を中心に、神社などに奉納されたものである。瀬戸市域の窯跡での出土例から13世紀末には製作されていたことが知られている。一方、神社などに伝わる陶製狛犬としては、室町時代以降のものが見られ、瀬戸の氏神深川神社の重要文化財灰釉狛犬などが挙げられる。
この狛犬コレクションは古瀬戸の研究者であった故本多静雄氏の収集資料であったが、愛知県陶磁資料館に寄贈されたものである。根津美術館蔵の千利休愛用香炉転用灰釉狛犬と同型のもの、江戸時代の瀬戸村の名工春丹・閑陸・早梅亭など、現多治見市小木村景定の銘をもつものなど多様な資料が含まれている。

陶製狛犬コレクション

猿投灰釉短頚壺及び平瓶

さなげかいゆたんけいこおよびへいへい


県指定考古資料 各1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 短頸壺高さ23.6センチ、平瓶高さ13.6センチ 時代 平安時代

名古屋市守山区の小幡緑地公園で、昭和35年造成工事の際に発見された。木炭が敷き詰められた中に完器の短頸壺が、壺の近くには酒などを入れた平瓶(へいへい)や供え物を盛り付けたと思われる坏身(つきみ)も出土している。短頸壺は宝珠形紐の付いた蓋を伴い、中には火葬骨が納められていた。つまり蔵骨器であり、平安時代の墓が偶然発見されたものと考えられる。短頸壺と平瓶のみが現存している。
短頸壺は肩が大きく張り、径の広い高台をもつ。平瓶は扁平な把手が体部の上面に付いている。共に器の上部には濃緑色の自然釉が明瞭に掛っており、猿投窯で生産された原始灰釉陶器であることが分かる。

灰釉短頚壺
平瓶

御深釉唐草文双耳水甕

おふけゆうからくさもんそうじみずがめ


県指定工芸品 1口
平成4年2月28日指定 所在地 瀬戸蔵ミュージアム(寄託)
所有者定光寺
文化財 高さ40.8センチ、口径58.4センチ 時代 江戸時代中期

元は定光寺開山堂に在って、開山覚源禅師に対する早朝行事に使用する水容器であったという。寺伝では帰化明人陳元贇作となっている。
胴の上下に二重の丸彫沈線を施し、その間に丸彫唐草文を配している。また左右に柏葉形の双耳を付けた大型の水甕である。
18世紀前半に比定され、現在知られている御深井焼水甕の中でも最も古いもので、大きさにおいても類例がなく、よく完好な形をとどめており資料的価値は極めて高いものがある。

御深釉唐草文双耳水甕

鉄釉巴紋瓶子

てつゆうともえもんへいし


県指定工芸品 1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 高さ26.7センチ 時代 鎌倉時代後期

いわゆる古瀬戸の代表的器種であり、全盛期の製品である。高さ26.7センチ、口径3.5センチ、胴径17.4センチ、底径9.7センチで、13世紀末から14世紀前期に比定される。
口頸には突帯が付けられ、肩は張っているが丸味があり、寸胴の直腰のいわゆる「梅瓶(めいピン)型瓶子」である。器体は紐作り成形され、丁寧にへら削り整形されている。頸部に7個、肩から胴にかけて五段各11個の巴文様が押印され、全体に鉄釉が施されているが、二度掛けで濃淡が認められる。
なお本器は昭和12年の輸出禁止を目的とした「重要美術品」に認定されたものである。

鉄釉巴紋瓶子

猿投灰釉短頚壺

さなげかいゆうたんけいこ


県指定工芸品 1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館
所有者 愛知県
文化財 高さ22.9センチ 時代 平安時代中期

いわゆる猿投窯焼成品で、9世紀後半に比定される。岐阜県高山市で出土し、蔵骨器として使用されていた。高さ22.9センチ、口径9.4センチ、胴径24.1センチ、底径12.6センチ。丸味のある胴部は灰白色に焼き上がり、淡緑色の灰釉が口頸から肩に施され、幾条かの流れ落ちた釉溜りが景色を作っている。平安時代中期白瓷(しらし)の代表的な製品である。
この種の製品は、正倉院御物中の薬物用容器として使用されていたことから、通常「薬壺(やっこ)」と呼ばれ、本来蓋も伴っていた。本器のような火葬蔵骨器として発見される例も多く、本器も蓋があったと伝えられている。

猿投灰釉短頚壺

陶製牡丹文経筒外容器

とうせいぼたんもんきょうづつがいようき


県指定工芸品 1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 高さ33.9センチ 時代 平安時代後期

いわゆる猿投窯の焼成品で、高さ33.9センチ、口径21センチ、胴径24.2センチ、底径25.2×25.2センチ、11世紀末から12世紀前半ころに比定されている。蓋は円筒形で大型のつまみが付き、外側に二重条文が施される。胴部も円筒形で上・中・下段に二重条文が施され、上・中条線の間に太いへら彫りで牡丹文様が巡らされていて、底部は隅切の四方板となっている。
この深く太い線彫りの牡丹文様の陶片が東山105号窯(名古屋市東山植物園内)から出土おり、猿投窯東山地区特有の良質な陶土が使用されていることからも、猿投窯製品と断定することができる。

陶製牡丹文経筒外容器