上品野町

かみしなのちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは上品野の一部。「上品野」は品野川流域の山間部に位置し、中世には中品野・下品野を含めて科野郷と呼ばれた。昭和42年からの名古屋学院大学の移転、品野台カントリークラブゴルフ場建設、住宅団地造成などにより都市化が進んだ。
→品野城
→桑下城
→集落跡・上品野遺跡
→上品野村創陶碑

神川町

かみかわちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは美濃ノ池の一部。寛政5年の村絵図では、美濃之池村17戸の農家がすべて集中している地区にあたる。

窯町

かままち


昭和40年5月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは下品野による。尾張藩の御用窯があったがあったところから、この町名がつけられた。
→加藤新右衛門家文書・瀬戸市指定古文書

鹿乗町

かのりちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは下水野の一部。地名は玉野川の対岸高蔵寺の縁起に、「本尊薬師如来は深淵より白き鹿に乗りて上がらせ給ふ霊像」とあり、鹿乗が淵と名付けられたという。昭和59年十軒町と境界変更。
→入尾城

片草町

かたくさちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは上品野の一部。
→片草→石造薬師如来坐像・瀬戸市指定彫刻1躯
→石造地蔵菩薩立像・瀬戸市指定彫刻1躯
→片草城

掛下町

かけしたちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。1~2丁目がある。もとは山口の一部。弘化4年の村絵図では、「蕨ヶ洞御林」の南山丘陵に薬師堂・新明宮が鎮座、丘陵から大川,(矢田川)に新明川・薬師川が流入する。菱野道沿いの新明下の集落が現在の町内で、当時8戸の農屋と「卯新田,御蔵入」の記載がある。

海上町

かいしょちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。「尾張徇行記」には「又支邑ヲ海上洞ト云、是海上洞御林ノ麓ニアリ、本郷ヨリ十八町ホト隔山奥ニアリ」と見える。町端の物見山は『張州府志』に「云武田信玄ノ置戍ノ土塁也」と地名の由来を伝えている。
→物見山城
→古窯・広久手古窯跡群
→山口堰堤