来る福招き猫まつりin瀬戸

くるふくまねきねこまつり


平成5年(1993)招き猫愛好家により日本招猫倶楽部が創立された。現在では日本中に500人以上の会員を持つ団体である。日頃、私たちのために手を挙げて福を招き続けている招き猫に感謝する日として、日本招猫倶楽部が平成7年(1995)に9月29日を「来る福(くるふく)」と読んで、「招き猫の日」とした。
三重県伊勢市の「おかげ横丁」で平成7年(1995)に招き猫まつりが開催されたのがきっかけで、平成8年(1996)瀬戸市で「第1回 来る福招き猫まつりin瀬戸」を開催した。明治30年代に日本で最初に磁器による招き猫の量産を始め、100年余に及ぶ招き猫の歴史があるものづくりのまち瀬戸で、現代の創作招き猫を多くの方に楽しんでいただこうと、瀬戸市のノベルティメーカー(中外陶園)社長の鈴木政成氏が、日本招猫倶楽部世話役の板東寛司(ばんどうかんじ)氏に協力を依頼し、瀬戸市でも開催する運びとなった。「来る福招き猫まつりin瀬戸実行委員会」を組織するなかで、第1回は6店舗が参加。展示販売のほか絵付けや立体ぬりえの体験イベントからスタートした。現在まで続いている復刻招き猫はこの時から作られている。また、瀬戸市観光協会(現:瀬戸市まるっとミュージアム・観光協会)は第1回から関わっており、調整事務や当日のインフォメーションを担い、第3回から事務局としての役割を担って現在に至っている。
全国から公募する「にっぽん招き猫100人展」をはじめ、人気の招き猫メイクやスタンプラリーなど100を超える参加・体験型の企画を実施。この2日間は市内中心市街地が招き猫でいっぱいとなる。毎年9月29日直近の土・日曜日に開催される。

ミスせともの

みすせともの


ミスせとものとは、「せともの祭」「せと陶祖まつり」を広く全国に宣伝するとともに、陶磁器産業の発展と観光事業の振興さらには、まるっとミュージアム推進によるまちの賑わい創出など、瀬戸のまち全体をPRすることを目的に女性3名を選出。昭和34年(1959)より、瀬戸青年会議所主催にて「ミスせともの」選考会を行う。昭和37年(1962)より、せともの祭協賛会(現 大せともの祭協賛会(事務局:瀬戸商工会議所))主催となる。平成19年(2007)より、「ミスせともの・準ミスせともの」から「ミスせとものクイーン・ミスせともの」に改称した。

せともの人形

せとものにんぎょう


昭和7年(1932)の第1回せともの祭からお祭りのシンボルとして展示している。昭和55年(1980)頃までは瀬戸川沿いのせともの廉売市会場内の歩道上に小屋を建て、4~7カ所に展示していた。しかし、1週間にわたる展示による歩道占拠は次第に難しくなり、平成3年(1991)以降は毎年1カ所のみ、現在はパルティせと1階での展示となっている。題材はその時々の世情を反映したものや映画・テレビドラマを取り上げており、とりわけ昭和39年(1964)からは毎年「大河ドラマ」に関連する作品が1点以上つくられている。ただし、平成16年(2004)のみ磁祖・加藤民吉が九州への修行の旅から瀬戸へ帰り200年にあたる年であることを記念し、「磁祖民吉九州修業二百年」との題目で制作。天草の天中和尚を訪ねた民吉という構図での展示がなされた。
平成12年(2000)までは大阪のせともの祭でも制作されていたが、現在では瀬戸が全国で唯一となっている。第1回・第2回のせともの祭では「せともの人形競技会」として出品者が人形の出来栄えを競い、最優秀作品には新愛知新聞(現中日新聞)から優勝旗が送られた。第3回の昭和9年(1934)以降は瀬戸陶磁器卸商業協同組合が主催し愛知県高浜市の菊人形師が制作を行っている。

せともの祭

せとものまつり


9月の第2土・日曜日(第2土曜日と翌日の日曜日)に開催されるお祭り。呼びもののせともの大廉売市は、瀬戸川両岸約800mに市内の瀬戸物問屋や窯元などが中心になって陶磁器の出店をする。他に新作発表や陶芸展などが催される産業祭である。もともとは、この地に磁器の製法を広めた磁祖・加藤民吉が、瀬戸染付焼の完成を神に感謝することから遙拝所として建立した窯神社の祭礼が原点であった。この社は初め、私設の神社であったが、3代目になって没落し、同家が祭礼を行えなくなったため、大正5年(1915)から瀬戸町全体の祭りとして行うことが決まった。「せともの祭」の名称は、昭和7年(1932)、窯神祭の催物として廉売市が行われるようになってから使われはじめた。

せとなつ

せとなつ


夏のPRキャンペーンとして、平成19年(2007)からスタートした。
7月中旬から8月下旬の夏休み期間にかけて、瀬戸市内で行われるイベントをとりまとめ夏のPRキャンペーン「せとなつ」と称して開催。瀬戸の夏の風物詩「岩屋堂公園天然プール」、「ノベルティこども創造館夏祭り」など、夏を楽しめるイベントが盛りだくさん。平成21年(2009)にはせとなつのシンボルとして「陶製風鈴ツリー」を設置。平成23年(2011)には「せとちゃん風鈴」をあしらった「せとちゃん風鈴ツリー」が、平成24年(2012)は「陶製風鈴シャンデリア」が登場した。

JIMO婚・ZO婚こまいぬ道中

じもこん・ぞっこんこまいぬどうちゅう


JIMO婚とは、地元で地味婚の意の造語。ZO婚(続婚)とは、結婚記念日の陶器婚式(9年目)、磁器婚式(20年目)を祝う日として、夫婦、家族からの「ありがとうメッセージ」を公募し、「世界でたった一つの手作り記念品」の作陶体験をプレゼントするイベント。平成16年(2004)から陶祖を祀る「せと陶祖まつり」、磁祖を祀る「せともの祭」で、瀬戸の地域資源の陶磁器の「瀬戸ブランド化」による、まちの活性化を目的に開催された。
さらには、昔ながらの人と人との絆を深める「近所付き合い」の復興を兼ね、瀬戸市中心市街地商店街の協力とおもてなしの中、せと陶祖まつり当日に、深川神社にて挙式されるJIMO婚カップルが、花嫁道中として地元の若者が曳く人力車で練り歩く。

御物奉献行列

ぎょぶつほうけんぎょうれつ


13世紀前期の鎌倉時代、加藤四郎左衛門景正(藤四郎)は名僧道元に随行して、中国の地で釉薬を施した陶器を造る技術を学んだ。日本に帰り良い陶土を求めて全国を回る中で瀬戸を訪ねた際、深川神社で受けた「神のお告げ」に従って祖母懐の地で良土を得た。この感謝のしるしに、藤四郎は一対の狛犬をつくり深川神社に奉納したと伝えられている。後の世に、藤四郎は陶器の神様として深川神社の摂社「陶彦神社」に祀られる。
この故事により瀬戸の作陶家は陶彦神社に参拝したり、作品を奉納したりして陶彦の神に感謝をしてきた。この伝統をもとに、昭和54年(1979)に瀬戸市制施行50周年記念事業として、陶器を陶彦神社に奉納する御物奉献行列が陶祖まつりにおいて開催された。平成14年(2002)より一時中断していたものの、平成19年(2007)より陶磁器業界関係者の尽力により再開され、今ではせと陶祖まつりの重要な催事となっている。

せとものフェスタ

せとものふぇすた


昭和63年(1988)当時、円高によりかつてない不況に襲われていた瀬戸陶磁器業界がこの難局を切り抜ける契機とするために、大せともの祭協賛会として全国規模による陶磁器イベントを計画することとなった。
そのための実験的イベントとして、陶磁器文化行事「せとものフェスタ’88」が昭和63年(1988)4月のせと陶祖まつりで実施された。
以後は、陶磁器を中心に瀬戸に関わる絵画やデザインなども織り交ぜながら、瀬戸の技術や文化を顕彰する目的で、毎年陶祖まつりに合わせて開催されている。

せと陶祖まつり

せととうそまつり


毎年4月の第3土・日曜日(第3日曜日とその前日の土曜日)に行われる。陶祖とは、瀬戸焼の開祖として伝えられる加藤四郎左衛門景正(藤四郎)のことで、その遺徳を偲ぶ祭りである。「御物奉献行列」(パルティせとから陶彦神社まで)をはじめ、陶磁器の廉売市や瀬戸の若手作家市、春の陶フェスタなどさまざまなイベントが開催される。平成19(2007)年度から呼称を「陶祖まつり」から「せと陶祖まつり」としている。

瀬戸豚

せとぶた


道の駅瀬戸しなので使用しているのは瀬戸市の北丘町の豚。瀬戸豚のおいしさは癖がなく、甘味のある肉質にある。
瀬戸豚を使って、オリジナルの瀬戸豚ソーセージを使用した瀬戸豚ドッグ、ベーコン、ウインナー、おにぎり、「道の駅コロッケ」やこのコロッケを使用した瀬戸豚コロッケバーガーも登場している。
また、瀬戸豚の精肉の要望にもこたえて、精肉販売も行っている。トンカツ用、しゃぶしゃぶ用などが用意されているが、販売数に限りがあるのでお早めにとのこと。