昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。昭和41年1丁目、同43年からは1~3丁目がある。同年および同43・59年に南山町・山手町・小田妻町1~2丁目の各一部を編入
投稿者: setopedia
孫田町
まごたちょう
昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。
前田町
まえだちょう
昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字前田の一部。かつて蓮田といったが、蓮田でもあるまいと地元の有志が有力者の桜井林蔵氏の桜の一字を借りて桜町と名付けたが、昭和15年戦争が激しくなると県のほうから桜町天皇が居られるので遠慮するようにとの通知があり前田町になったと伝えられ。
本郷町
ほんごうちょう
昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは中水野・下水野の一部。江戸期水野川右岸にあった集落が、明和4年の洪水で海老づるヶ根のふもとに移転したのが本郷である。昭和56年十軒町・小田妻町と境界変更。
洞町
ほらまち
坊金町
ぼうがねちょう
昭和45年4月15日、大字本地の一部を町名設定。もとは本地の一部で、大字本地字坊金・南浦・駒前の一部。寛政5年の本地村村絵図では、長久手村から今村へ通ずる「御巡見道」とその西の「下大クテ」の農家が描かれている地。地名の由来は不明だが、以前は五軒村と称されていた。
弁天町
べんてんちょう
昭和54年12月1日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。幡山中学校の正門横に池があり、これを昔から弁天池と呼んでいる。この池のほとりに弁天様が祀ってあるところから、弁天池と呼ばれている。この池の北側の地を弁天町と呼ぶようになった。
ふじの台
ふじのだい
1~3丁目
福元町
ふくもとちょう
昭和53年12月26日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。昭和60年赤重町・菱野の各一部を編入。