瀬戸市上之山
富士浅間社は、上之山の富士山の頂上付近に祀られている。元は掛下の神明社の末社であった。かつては上之山に拠点を持っていた一族が祀っていたとのことであるが、明和4年(1767)、猿投山に大崩落をもたらした集中豪雨によって山口川が氾濫し、低地にあった旧集落が砂入りになり、一族は村北西に移住して今林を開いたと伝えられている。地元では「お富士山」と呼び親しみ、子授けの神としても信仰され、大祭は4月第4日曜日にある。
瀬戸市上之山
富士浅間社は、上之山の富士山の頂上付近に祀られている。元は掛下の神明社の末社であった。かつては上之山に拠点を持っていた一族が祀っていたとのことであるが、明和4年(1767)、猿投山に大崩落をもたらした集中豪雨によって山口川が氾濫し、低地にあった旧集落が砂入りになり、一族は村北西に移住して今林を開いたと伝えられている。地元では「お富士山」と呼び親しみ、子授けの神としても信仰され、大祭は4月第4日曜日にある。