大平山城址

おおひらやまじょうあと


所在地 瀬戸市川平町・鹿乗町
 旧中水野村には天明元年(1781)に字鳥林に水野代官所(陣屋)が置かれた。春日井・愛知両郡の111ヵ村・6万石を管理する行政の地方中心地で、代官には歴代水野氏が就いた。大平城跡は水野川を挟んだ対岸の大平山の麓に在る。
 寛政四年の村絵図には東光寺(臨済宗・定光寺末)の北山(城山)に「水野佐衛門尉殿城跡ト申傳候」とある。「古城史談」には城跡は大平山中腹の「しんど池」のほとりと大平山の麓の2ヶ所を挙げ、下の城跡は「中水野村の内にも城屋敷とてあり、二町四面取り廻し、村の北郷大平山の下なり。城主は南北朝時代に水野平七致国が居城していた」としている。覚源禅師は建武三年(1336)に定光寺を開創した。尾張各地を布教した平心処斎の頃に致国の館に錫を止め、その縁で帰依を得て開山したとされる。定光寺蓮池より祠堂山を越え、中水野東光寺に出る石畳の残る山道は旧「殿様街道」と呼ばれた歴代尾張藩主の御成り街道であった。