瀬戸市定光寺町
旧沓掛村の古刹定光寺の山門正面に標高167mの小丘陵「檜山」(江戸時代の村絵図には「筑山」とある)の南斜面に窯は在る。昭和58年に市史編纂のための発掘調査が行われた。昭和34年の伊勢湾台風により窯体の大部分が流出してしまい、58年の発掘調査では、焼成室床面の一部が残存するのみであった。残存する焼成室の床面の幅は下端で最大の3.3m、上端で最小の1.65mであった。床面の傾斜は35度前後とかなり急傾斜である。天井支柱の痕跡も2本認められた。
灰原は極めて残りが良く、最大で2m厚の堆積が確認された。出土遺物には各種碗類、皿類、徳利、擂鉢、建水、水指などがあり、月山窯は16世紀後半に創業された大窯成熟期の窯であることが判明した。この時期の大窯製品の特色としては、天目茶碗・茶入・建水など茶陶類が卓越することで、月山窯でもこうした器種が大量に出土している。
(参考文献 「瀬戸市史・陶磁史篇四」)