長命井

ちょうめいせい


伝承地 瀬戸市本地地区?
 時代背景 清州城と信長 弘治元年(1555)、信秀の後を継いでいた信長は、一族の織田信友を滅ぼして那古野城から清州城に移った。信長は桶狭間の戦い(永禄3年(1560))に出陣したのは清州城からである。
 むかし、本地の植田に尼寺(あまでら)があり、この寺の水は、尼さんがいつも水をくんで使い、代々長生きをしたそうです。その中で、隋円(ずいえん)という尼さんは、一三六歳まで生きたということです。そのようなわけで、だれ言うともなく、この井戸の水を飲む者は必ず長生きをするということで、長命井と名付けられたそうです。
 この井戸のことを、このあたりのお年寄りに聞いてみたら、次のような言い伝えを話してくれました。
 今からおよそ四〇〇年ほど前※1、この長命井のうわさを耳にした清州(きよす)のお殿様は、長く生きようとおもったのでしょうか、
「本地というところへ行けば、長命を保つという井戸があるそうだ。そのいわれのある水をくんでまいれ。」と、言いつけました。
 家来はさっそく、その水をくみに出かけて行きました。
 こんこんとわき出る水をひょうたんにくみ、腰にぶら下げて急いで帰りました。何のはずみか、早く届けようとして、そそうし、その水をこぼしてしまいました。
 皮肉なことに、この水はとうとう清州城へ届かず、信長の口には入らなかったということです。
 なお、この隋円の用いた茶釜や、その当時祀ってあったという薬師如来(やくしにょらい)は、本地の海雲山正覚寺(かいうんざんしょうかくじ)にあると、言い伝えられていたが、今ははっきりしていません。
 長命井の跡がなくて残念ですが、もし、昔のままであったなら、興味深いものです。しかし、つくりかえられた井戸が、今でも水をたたえています。
※1 「今からおよそ四五〇年前」