山口の八幡社は郷社の地位にあり、菱野、本地の他、現・長久手市の上郷地区(前熊、大草、北熊)の各ムラから飾り馬を奉納する習わしがあった。これを郷社祭りと呼んでいる。菱野郷倉文書によれば、明治14年(1881)、山口村祭礼係が菱野、本地、井田、瀬戸川、狩宿、今村に対し、猿投合宿の休年を連絡するのと合せて、「当年初テ氏神祭礼、猿投祭礼同格ニて相勤申度候」と知らせている。八幡社の祭礼が郷社祭りとして行われるようになったのはこの時からであろう。最近では平成25年(2013)6月に開催された。
山口の八幡社は郷社の地位にあり、菱野、本地の他、現・長久手市の上郷地区(前熊、大草、北熊)の各ムラから飾り馬を奉納する習わしがあった。これを郷社祭りと呼んでいる。菱野郷倉文書によれば、明治14年(1881)、山口村祭礼係が菱野、本地、井田、瀬戸川、狩宿、今村に対し、猿投合宿の休年を連絡するのと合せて、「当年初テ氏神祭礼、猿投祭礼同格ニて相勤申度候」と知らせている。八幡社の祭礼が郷社祭りとして行われるようになったのはこの時からであろう。最近では平成25年(2013)6月に開催された。