丸一国府商店

まるいちこくぶしょうてん


瀬戸市栄町
 明治維新の廃藩置県により解散した犬山藩の藩主成瀬正肥は、家臣救済のため下賜金八千円を用意した。家臣はこの下賜金を元に明治5(1872)年印刷業や陶器販売業を手がける丸一商店を設立した。屋号は成瀬家の家紋に因んだもので、店は名古屋市大曽根に設置された。陶器販売拡大のため、明治20(1887)年に瀬戸市朝日町に仕入れ部を設立した。経営は順調で、明治38(1905)年に瀬戸電気鉄道(後名鉄瀬戸線)の瀬戸―矢田間が開通(同44年には堀川まで延長)したのを機に、尾張瀬戸駅に近い栄町に陶器部の移転と建設を企図した。現存する木造2階建一部4階建ての建物は明治44(1914)年に完成したという。以後、世界恐慌や第2次大戦で経営困難となり、昭和22年に当時の番頭だった国府家が店を譲り受けて丸一国府商店となり今日に至った。
 建物は2階建ての町屋建築に望楼を載せた形態で犬山城天守を模したものと伝える。1階は東側1間半を土間とした町屋の形式に則り、土間境に大黒柱を立て、土間奥は吹き抜けとする。ただし同店に残る創業当時の写真によれば、和風の外観とは対照的に見本を並べた1階店舗は洋室であった。2階は中廊下をはさんで北側に洋室、南側には8畳間2間続きの座敷と6畳間(女中部屋)がある。階段は西端に2ヶ所、東端に箱階段と3ヶ所が設けられた。内法高さほどの中3階を経て、望楼状の4階には8畳間を設ける。数奇屋風の意匠で、床脇には丸窓を開け、東・南2面に縁を廻し、鉄製の手摺は建造当初のものである。平成15年からの道路拡張で東に8メートル、北に14メートルほど曳家して改修がなされた。往時の様子を伝える建物として貴重であり、景観の核となっている。
(『愛知県の近代化遺産』)