大草古窯跡群

おおくさこようせきぐん


瀬戸市台六町・幡中町・南菱野町・東本地町2
 矢田川(山口川)左岸(南側)の丘陵部に成立した広久手・南山・大草古窯跡群中、最も西側(下流部)に立地するのが大草古窯跡群(17基)である。大半が12~13世紀代に稼働した無釉の碗・小皿を焼成した山茶碗窯で構成されている。わずかに、11~12世紀の灰釉陶器片と山茶碗片が混在する大草10号窯(台六町・窯跡滅失)と13世紀代の施釉陶器片が採集できる大草4号窯(幡中町・窯跡滅失)が認められるのみである。大半が戦後の土砂採集で滅失したが、群中唯一発掘調査されたのは大草第6号窯(南菱野町)のみである。
 大草6号窯は長久手との市境、山ノ田信号交差点より東約350mの第三紀丘陵上(海抜110m前後)に在り、昭和56年に隣接する瓦粘土採掘の緊急発掘調査が実施された。地山をくり貫いた窖窯で、窯軸はほぼ北―南の南向斜面に築窯されていたが、残念ながら窯体の分炎柱とその前後わずかを残して他は自然流失していた。床面上の出土品は山茶碗・皿が中心で、他に四耳壺片・陶丸で物原の出土品の8割を占める片口鉢は最終窯には無かった。前庭部に径2.6mのピットがあり、数個体の山茶碗の完器が出土、製品の選別作業場であったようである。山茶碗は南部系荒肌手で13世紀代に稼働したものと比定される。
(「大草第6号窯発掘調査報告」)