祖母懐町

そぼかいちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字上ノ切の一部。祖母壊は、「ウバガフトコロ」または「ウバノフトコロ」とも呼ぶ。「姥懐」「乳母ヶ懐」「姥母の懐」「叔父の懐」などといった地名が全国各地に分布する。三方を丘陵に抱かれた正面が日向があたっている地形を指す語という。陶祖藤四郎が諸国を巡歴ののち、この地で初めて領土を発見し、瀬戸永住の意を決したと伝えられる。また尾張藩祖義直によって名古屋城内に御老深井窯が起こされると、もっぱら原土を祖母壊から採取し、二代光友の時代には、この土の私用を禁じたといわれる。実際土の採れたとされる所は、現在春雨町と名付けられている。

苗場町

なえばちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは中水野の一部。町名は県の苗場が所在したことによる。

水北町

すいほくちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは上水野村の一部。水野村は面積が広いため南北に分けて北側を「水北」、南側を「水南」と呼んでいた。現在の水北町は当時の水野で最北部にあたるところから水北町とした。昭和56年一部を曽野町に編入。
石樋・瀬戸市指定名勝
御林方役所・古跡

曽野町

そのちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは上水野の一部。山法師山から流出ている山干川(山法師川)の素根で「曽根」と呼ばれたこともある。この集落の奥に穴の宮の地名が残り、附近の方形の礎石は白鳳期の堂塔心礎という説もある。昭和56年水北町の一部を編入し、一部を余床町に編入。
(参考文献:瀬戸警察1987『瀬戸の地名由来その1』 
     「角川日本地名大辞典」編集委員会1989『角川日本地名大辞典 23 愛知県』)
一色山城(水野城)
古跡・曽野の礎石

太子町

たいしちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは赤津の一部。この地にある万徳寺の「太子堂」が地元民から親しまれてきたところから、あるいは太子山万徳寺の北の門前にあたることによるとされる。

寺山町

てらやまちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。慶昌院とその南側は小高い山(丘)となっており、この一帯を寺のある山という意味で寺山と呼ばれていた。
→東寺山町
→西寺山町