平成17年3月19日、東海環状自動車道豊田東JCT-美濃関JCT間開通により設置されたインターチェンジ。せと赤津PAを併設している。
カテゴリー: 橋・公園・開発
せと品野インターチェンジ
せとしなのいんたーちぇんじ
平成17年3月19日、東海環状自動車道豊田東JCT-美濃関JCT間開通により設置されたインターチェンジ。
名古屋瀬戸道路
なごやせとどうろ
地域高規格道路である名古屋瀬戸道路は、東名高速道路と日進JCTで直結し、名古屋東部丘陵地域から全国に広がる高速交通ネットワークを形成する延長2.3kmの自動車専用道路である。この道路は一般道路に接続していないため、名古屋瀬戸道路のみの利用はできない。「愛・地球博」会場への重要なアクセス道路として、開幕に合わせて供用開始されている。料金は普通車100円となっており、東名高速道路料金に加算される。
愛岐道路
あいぎどうろ
瀬戸市鹿乗町と岐阜県多治見市平和町を結ぶ延長11.7㎞の道路。愛知・岐阜両県が国道19号線の内津峠の交通難所を避け、名古屋と東濃の経済交流を図るためにつくられた日本道路公団の有料道路であったが、昭和62年(1987)8月3日愛知県に移管され、無料化された。
この道路は、愛知県道・岐阜県道15号名古屋多治見線の一部で、庄内川の渓谷美や鹿乗橋や古虎渓が有るので観光道路の役割も果たしている。庄内川の左岸沿いを走っており、川の反対側は崖面が多くあるため、連続雨量が150mmを超えると通行止めになる。
国道363号線
こくどう363ごうせん
名古屋市名東区から岐阜県中津川市に至る一般国道である。瀬戸管区では瀬戸と尾張旭市の境界小坂町より市内中心部を通過し、品野より東の片草町に向かって岐阜県土岐市との境界までである。
市内中心部で、国道248号(東本町交差点-品野交番前交差点)と国道155号(東本町交差点-瀬戸橋南交差点)が重複区間となっている。
国道363号は「瀬港線」と呼ばれ、瀬戸と名古屋港を結ぶ産業道路として発展してきた。瀬戸から陶磁器製品を貿易のために名古屋港から輸出、帰りには陶磁器の原料や燃料を運んだ。ちなみに、瀬戸市の共栄通の交差点から尾張旭市北本地ヶ原一丁目までの約5,580mが都市計画道路「瀬港線」である。
国道248号線
こくどう248ごうせん
愛知県蒲郡市から岐阜県岐阜市へ至る一般国道である。
瀬戸管区では瀬戸と豊田市の境界上之山町より市内中心部を通過し、北に向かって品野を通り抜けた岐阜県多治見市市之倉町との境界までである。
豊田境から東本町交差点までが国道155号と、市内中心部では国道363号(東本町交差点-品野交番前交差点)が重複区間となっている。
国道155号線
こくどう155ごうせん
愛知県常滑市から、知立市、瀬戸市、一宮市を経由し弥富市に至る一般国道で、名古屋環状3号線として位置付けられている。瀬戸管区では瀬戸と豊田市の境界より市内中心部を通過し、北に向かって春日井市との境界までである。
豊田境から東本町交差点までが国道248号と、市内中心部で国道363号(東本町交差点-瀬戸橋南交差点)が重複区間となっている。
瀬戸街道
せとかいどう
名古屋大曽根で下街道から分かれ、瀬戸と東濃を経由するルートも信州飯田街道と呼ばれていたが、追分までのこの街道は、名古屋側から他の瀬戸へ通じる道と同様、瀬戸街道とも呼ばれており、今日の県道をそう呼ぶおこりともなった。
現在呼ばれる瀬戸街道は、昭和初期に幅員8間(約15m)の道路が新設され、当時、八間道路というのは画期的なもので、人々を驚かせた道路である。昭和14年(1939)頃から隣りの旭町で、県道名古屋・瀬戸線の改修のための土地買収がはじまり、昭和12年末には共栄橋が改築され、昭和18年末に名古屋・瀬戸線の路線変更が行われ、共栄橋~八間道路が県道となった。昭和31年(1956)4月から、県道、主要地方道名古屋瀬戸線と改称され、今日にいたる。
八間道路
はちけんどうろ
通称、八間道路というのは三菱UFJ銀行瀬戸支店前から陶原町を経て市役所前辻以西、共栄通りのことであった。それが後に瀬戸市から尾張旭市-名古屋市守山区-矢田への重要道路となり、この沿道の両側は殆ど街なみがつづいている。
大正14年(1925)の大水害で、県道名古屋瀬戸線の瀬戸駅付近と今村付近の瀬戸川南岸堤防がくずれた。この災害によって新しい道路の建設運動が今村でおこり、耕地整理で将来の瀬戸地方の発展を考慮に入れて計画したのが八間道路。昭和のはじめには、まず現在の市役所前付近から共栄橋までの間が完成した。