陶の国

とうのくに


旧中部通産局において、東海陶磁器産地の課題が「愛知万博を契機とした東海陶磁器産地活性化にかかる企画書~陶の国チャレンジプラン」(2002年3月)で整理され、課題を解決するために、これまでの生産者主体のものづくりから顧客指向型へ思考を転換し、産地ブランド力の向上を図ることを目指した、東海地区の常滑焼(とこなめやき)・瀬戸焼(せとやき)・美濃焼(みのやき)・萬古焼(ばんこやき)の4産地における若手経営者の代表が中心となった広域連携による取り組み「陶の国プロジェクト」が始められた。

ふくらの会

ふくらのかい


瀬戸市点訳グループ「ふくらの会」昭和58・59年の2期、回数にして40回程の点訳奉仕員養成講座が瀬戸市で開講され11月の徐行修了に継いで「ふくらの会」が発足。名称は相談の末、市の木とされているクロガネモチ、別名を福来柴(フクラシバ)この木に因んでつけられたものである。愛知県盲人福祉連合会点字図書館「明生会館」より送られて来る書籍の点訳、併せて地域の視覚障害の方が持参される暦、ステレオ等機器の説明、和裁・料理の本、食堂のメニュー、カラオケ歌集等の個人的なもの、時には障害者交流会の案内書何十枚等と種々雑多に受け入れて活動している。文字(墨字と言う)を点字(凸面を作る)に、置き変える作業奉仕部ループである。

古瀬戸吹奏楽団

こせとすいそうがくだん


昭和29年(1957)春、古瀬戸公民館成人学級として故西村宰輔氏指導のもと7名で結成された。団員数50名構成。高校生以上社会人一般練習日毎週水曜日午後7時~9時、古瀬戸小学校体育館。第24回JC賞(昭和54年)、県知事、名古屋市長、瀬戸市長、福祉協議会長賞(県・市)公民館表彰等受賞。主な活動としては新年の消防出初式から始まる年間20数回を数える市各行事に積極的に参加している。平成6年に瀬戸市文化協会の“つばき賞”を受賞している。また、永年にわたるボランティア活動が評価され、平成16年に全国で初めて緑綬褒章を授章している。平成26年には、楽団創立60周年を迎えた。
青少年の健全育成と文化の薫りを感じることのできるまちづくりに役立てるようにと、活発な活動している。

銀座通り商店街振興組合

ぎんざどおりしょうてんがいしんこうくみあい


設立は昭和43年(1968)。地区としては朝日町(尾張瀬戸駅より東に200mの川の北側)を中心とした地域である。街区の延長160mのアーケード・カラー舗装がされている商店街の常時歩行者専用となっており、来街消費者の安全性を保つ楽しいショッピング街である。歴史としては瀬戸街道沿いに生まれた宿場町、瀬戸物の集散地として問屋町・陶祖を祭る門前町として自然発生的に商業集積を形成してきた。当時は朝日町商店街として発足し、後に銀座通と名称が代わった。名称の“銀座通り”は地場産業の陶磁器が栄えたころ宮前発展会ともども一番の繁華街であった所から付けられた。
中心市街地活性の空き店舗対策事業として、平成13年(2001)4月、商店主の若手有志が発起人になって、商店街内に地域の人々のお休み処、憩いの場所を作ろうと動き始めたプロジェクトに、名古屋学院大学の学生たちが準備段階から参加し、学生たちが後押しする形で「銀座茶屋」が、同9月企画・経営を大学生が商店街と協働して行うカフェ&雑貨「マイルポスト」が開店した。こうした、大学連携によるまちづくりの成果が認められ、中小企業庁の「がんばる商店街」77選に選ばれた。その後、瀬戸市の補助制度を活用した店舗が相次ぎオープンした。銀座茶屋は地域のコミュニティーサロンとして、また異世代間の交流の場として多くの地域の人たちに利用されたが、客足も鈍りはじめ平成26年9月末閉店した。
平成26年8月30日、アーケードの改修が完成したのを記念して「銀こい夏まつり」、31日「第16回ぎんざ・えんにち」が開催された。

瀬戸子供太鼓こまいぬ座

せとこどもだいこ こまいぬざ


瀬戸に生まれ育った子供たちが、故郷瀬戸を心から愛し、進んで瀬戸の街づくりに参加してほしい、そんな願いで、瀬戸子供太鼓こまいぬ座が、平成3年3月に結成されました。
小中学生約40名よりなるこまいぬ座は、瀬戸らしく陶器の太鼓を製作し、瀬戸の“やきもの”1300年の歴史を語る創作曲「瀬戸川太鼓」を演奏して、一躍、こまいぬ座の名を有名にしました。以後「こまいぬばやし」「こまいぬ太鼓」そして和太鼓組曲「瀬戸・海上の森」と意欲的に創作曲に取り組み、現在では出演(演奏)回数は年間30回を数える。また、国内だけではなく、平成8年8月には国際交流基金の海外派遣事業の認定を受け子供太鼓としては初の海外公演に出かけ、フランスのパリ、シャルトル両市で演奏。平成10年の夏には、2回目の海外公演としてイギリス、ポルトガルで演奏。イギリスではホームステイで国際交流を体験、ポルトガルでは、「リスボン万博」会場で演奏し、その様子はヨーロッパ全土にTV放送された。平成12年にドイツ「ハノーバー万博」会場の日本政府館前で演奏、平成18年にシンガポールに渡航し、現地の日本人会主催の「国交40周年記念合同演奏会」に出演した。さらに、平成20年年末チュニジアの「サハラフェステイバル」、平成21年、利川市(韓国)姉妹都市5周年を記念し利川市で、平成22年には中国「上海万博」文化センター内で単独演奏を行うなど国内外で演奏・国際交流活動を行っている。

効範西部商店街振興組合

こうはんせいぶしょうてんがいしんこうくみあい


設立は昭和46年(1971)、業種構成としては、最寄品20店、買回品26店、その他が48店となっている。地区としては効範町・北脇町・松原町・北山町・南山町・平町とその外近隣の町内で水野駅を中心とした地区である。市内の一番西方に位置し、街区の広さは2番目である。1店当たりの店の広さは80㎡と1番広い。商店街の休日は決められてはいないが日曜日が目立っている。商店街の活動は広く地域に街路燈が設置され地域消費者の安全性に大きく貢献している。また、若手後継者で組織している青年部は組織造りに、地域の活性化に、地域の人口の増加への対応・水野駅利用客への対応・商店経営の勉強などに活躍している。商圏としては効範・西陵連区である。歴史として、自然発生的な形成された商店は、1955年(昭和30年)頃より名鉄瀬戸線を境に、南側を効範商店街・北側を西部商店街として活動し、(後にそれぞれが商店街振興組合組織にする。)2つの商店街が昭和46年(1971)に合併し現在の組織となる。

效範西部商店街

瀬戸いけばな協会

せといけばなきょうかい


平成元年、瀬戸市内におけるいけばな団体会員で教授資格者を中心に会員100名程で設立した。毎年、いけばな展を開催し、いけばなを通して地域文化振興活動に努めている。
また、平成13年(2001)には、愛知万博を契機に愛知環状鉄道沿線の春日井市、瀬戸市、豊田市、岡崎市の4市で愛環いけばな協会を設立し、年1回の文化交流の巡回花展を開催してきた。博覧会終了後も解散することなく交流を続け、平成26年9月には松坂屋豊田店にて、設立15周年記念愛環いけばな協会展/第40回華道豊展が開催されている。

新瀬戸商店街振興組合

しんせとしょうてんがいしんこうくみあい


設立は昭和60年(1985)。地区としては東横山町、孫田町、水南町(新瀬戸駅、瀬戸市駅周辺)である。瀬戸市で1番新しく設立された商店街で、それぞれの店の業歴も比較的新しい。名鉄瀬戸線、愛知環状鉄道の交差する鉄道路線で重要な拠点に位置し、鉄道の乗り換え・高等学校・陶生病院などの利用者が在り人通りは年々増加している。活動は、瀬戸市駅駐車場で夏祭りの盆踊りや、また、地域消費者のための街路燈は防犯上からも効果を上げている。商圏としては水北・水南・效範・西陵連区である。歴史としては、昭和30年代に孫田町・東横山町は発展会として活躍、昭和40年代初期より組織なく休止、昭和46年(1971)名鉄ストアーがオープンし、昭和56年(1981)頃東横山町を中心とする商店主より組織化の動きがあり昭和60年(1985)法人を設立した。

新瀬戸商店街

瀬戸市囲碁連盟

せとしいごれんめい


囲碁は脳の発達等に良いとされ、子どもの学力向上、お年寄りのボケ防止にも効果があるといわれる。このように老若男女を問わず楽しめる囲碁をより多くの人と楽しみたい、より多くの人に普及させたいと願う瀬戸市周辺の囲碁愛好者が集まり、瀬戸市囲碁連盟は平成3年(1991)9月に誕生した。年3回の一般市民参加の囲碁大会の開催、県内囲碁団体との交流親睦、囲碁普及のための囲碁教室の開設などの活動を行っている。

瀬戸商店街連合会

せとしょうてんがいれんごうかい


設立は昭和25年(1950)。主な事業として、各組合運営に必要な資料収集。各団体での共通したテーマの研究。国・県・市に商業環境に対する要望をしている。今年度平成元年(1989)の定時総会で名称を“瀬戸商店街連合会”からあらためられた。全国的な組織としては、市内9団体で当連合会を構成、愛知県商店街振興組合、全国商店街連合会と全国組織の一部になっている。沿革は設立当時は商店街組織は発展会であり、事務所は市役所の中にあった。昭和30年(1955)に入り、事務所を現在の商工会議所に移す。商店街振興組合の設立、事業運営の指導育成指導を行っている。