瀬戸市西長根町31-1
瀬戸市の上下水道の指定を受けた上下水道工事店の団体。瀬戸市域の給水区域内に安全でおいしい水を供給するため、協同組合加入の指定工事店では市民サービスの向上に努めている。
カテゴリー: 産業団体
瀬戸染付焼工業協同組合
せとそめつけやきこうぎょうきょうどうくみあい
瀬戸市陶原町1-8(愛知県陶磁器工業協同組合内)
瀬戸染付焼工業協同組合の業者数は25事業所である。
19世紀初め、加藤民吉等が磁器の焼成技術を瀬戸の地で広めたことが起源となっている。その後、絵師から絵付の指導を受け、南宋風の絵画を施す技術などが加わって急速に発展し、今日の瀬戸染付焼の基礎が確立された。特徴は、白地の素地に絵付を行い、施釉後焼成したものが染付で、藍色を基調とした色彩で繊細な自然画や鳥、花などを筆で描く技術と、潤いを持った仕上がりにするため、本焼成時に「ねらし(一定時間窯の温度を高温のまま維持)」を行い釉薬を熟成させるところに特徴がある。製造工程は、ろくろ成形、手ひねり成形等で成形し、表面をなめらかに仕上げ、乾燥後に素焼をした素地の表面に、直接筆で呉須絵具等を用いて下絵付を行う。その後紬薬を施し、本焼成して完成となる。瀬戸染付は平成9年5月14日、国の伝統的工芸品に指定された。主な製品は茶器、花器、室内装飾品、食卓用品である。
平成26年年2月1日、瀬戸市の窯神橋(南北の長さ22.5m、橋の幅41.8m)の四隅に伝統工芸の瀬戸染付焼で制作された親柱(高さ2m、上半分は空洞でLED照明が施されている)が一本ずつ設置された。瀬戸染付焼工業協同組合の伝統工芸士21人が制作したものである。
瀬戸陶磁器卸商業協同組合
せととうじきおろししょうぎょうきょうどうくみあい
瀬戸市見付町38-3
昭和7年(1932)12月28日設立。主として内地向け陶磁器を取扱う産地卸商社を組合員とする協同組合である。主な事業としては組合員企業の繁栄に資しすべく市場開拓、商品開発、情報提供などを行うほか、地場産業振興のためPR活動、瀬戸焼総合カタログの協同利用等をおこなっている。更に瀬戸の一大イベントであるせともの祭大廉売市を主管し街の活性化を積極的に推進している。
瀬戸陶磁器工業協同組合
せととうじきこうぎょうきょうどうくみあい
瀬戸市陶原町1丁目8
昭和32年(1957)5月輸出振興と、同業者の団結、組織の強化を目的として、瀬戸輸出陶磁器工業完成協同組合を設立、初代理事長に名誉市民(元市長)加藤繁太郎氏が就任した。その後、昭和54年(1979)6月瀬戸陶磁器工業組合と名称を変更、瀬戸地域の陶磁器生産額の70%強を輸出品として米国、ヨーロッパを中心に展開し瀬戸のやきものとして、全世界にその名声を博した。特にノベルティ生産については、瀬戸地方の長い伝統と技術に育まれて、我が国唯一の産地となり、他地域の追従を許さない技術、技能を持っている。
平成9年8月、瀬戸陶磁器工業協同組合に名称変更。組合員数35事業所で、組合員の取り扱う陶磁器製品の共同販売、市場開拓事業を行っている。
瀬戸輸出陶磁器工業組合
せとゆしゅつとうじきこうぎょうくみあい
→瀬戸陶磁器工業協同組合
瀬戸市穴田企業団地連絡協議会
せとしあなだきぎょうだんちれんらくきょうぎかい
瀬戸市穴田町975(マルイチ内)
昭和49年(1974)5月24日設立。瀬戸市穴田工業団地内に立地するすべての企業が加入しており、企業相互の発展と穴田企業団地内の環境及び施設等の諸条件の整備改善を図り、併せて会員相互の親睦と地域社会との融合を図ることを目的としている。主な事業は、団地内野球場及び集会場の管理、下水処理場の管理である。
愛知県珪砂鉱業協同組合
あいちけんけいしゃこうぎょうきょうどうくみあい
瀬戸市見付町38-4
昭和2年(1927)創立。構成組合員は、瀬戸市を主体とした愛知県全域の珪砂の採掘、精選加工業を営業している企業である。業界の歴史は、組合より古く100年有余の歴史がある。珪砂は、ガラスの主原料で、特に瀬戸の珪砂は全国のガラス工業で使用され、瀬戸の特産品として全国に知られているものである。
組合は業界の振興、発展に寄与するため、各種の事業を行っており、重点事業としては業界の根幹となる原料鉱山の確保と採掘を行い、常に安定供給をモットーにしている。また工場で必要な副資材と機械類を共同購入し、コストダウンと安定操業に寄与している。
愛知県陶磁器工業協同組合
あいちけんとうじきこうぎょうきょうどうくみあい
瀬戸市陶原町1丁目18
大正15年(1926)10月21日に組合員792名により発足した。発足当時から陶土資源の採掘供給事業を主軸に、当時瀬戸陶磁器工商同業組合工業部会が所有していた設備器具、機械を当時の金で14、213円で買取り事業を開始した。組合発足以来陶土事業を基幹事業として、県鉱区の祖鉱権設定による採掘、供給を行う傍ら、組合自らも陶土埋蔵地域の確保取得する一方、無尽蔵と言われた資源の有限を提唱、陶土供給を割当制にするなど長期安定供給策を講じ今日に及んでいる。又、陶土事業を主事業とする傍ら、消費地のユーザーからの要望を商品開発に反映させることを目的に昭和49年(1974)11月に流通センター事業を開始した。更に消費者ニーズを把握するとともに、陶磁器産地の名声を高めるためアンテナショップとして1983年(昭和58年)9月に〝せとものプラザ〟を開設、その後瀬戸蔵開館と併せて“瀬戸セラミックプラザ”を移設オープンし、消費者に直接商品を提供している。又、技術開発も重要施策の一環として取組み、時代に即した研究開発に取り組むとともに窯業原料、製品などの各種分析・測定・試験などに応えるほか、技術の相談・指導など幅広い活動を行い、技術サービス機関として地場産業の振興に貢献している。
赤津焼工業協同組合
あかづやきこうぎょうきょうどうくみあい
瀬戸市赤津町94-4
赤津焼の特徴は、織部釉、志野釉、黄瀬戸釉、古瀬戸釉、灰釉、御深井釉、鉄釉の7種類の釉薬と、へら彫り、印花、櫛目、三島手など12種類の多彩な装飾技法にある。これらを駆使し、茶道具、華道具から家庭用品まで幅広く焼かれている。昭和52年(1983)3月30日、国の伝統的工芸品に指定された。 主な製品は、茶器、花器、酒器、飲食器などである。
赤津焼工業協同組合の事務所は赤津焼会館にある。会館は昭和55年(1980)、赤津焼の研究資料・民俗資料保存を目的として建設された。赤津町の高台にあって織部釉の陶板で建物の外壁を被う特徴的な概観をもつ建物で、館内には会合用の研修室などを備えるとともに、茶道具・花器などから普段使いの焼物まで、赤津の窯元の作品を一堂に集めて展示・販売している。
木節の会
きぶしのかい
瀬戸市陶原町1-8 愛陶工内(事務局)
昭和63年(1988)7月設立。木節の会は、昭和62年(1987年)7月4日に、SAMSが開催した、シンポジウム“21世紀の瀬戸を考える”の中で注目された瀬戸市の中央鉱山の採掘跡地を有効利用したリプレース方式による新しい街づくりの方法に関心をもち、この構想を推進しようとする有志の呼びかけにより、昭和63年(1988年)7月16日に、“みんなで考えよう!鉱山跡地をどうする?”を合言葉に市民団体として設立された。会の名称は、1000年余の歴史を誇る瀬戸のやきものを支え、瀬戸の人たちの血や肉となってきた中央鉱山から産出する木節粘土の名をとって“木節の会”と命名された。約50名の会員により、鉱山ウォッチング、セミナーなどの活動を続けている。平成元年(1989)5月23日には、日独フォーラム。翌月17日~26日にかけては、西独ルール地方の炭鉱鉱山修復事情調査を計画、実施。