瀬戸市須原町、紺屋田町、藤四郎町、東印所町 特殊公園 5.80ha
瀬戸川上流の右岸小高い山の上に陶祖公園は位置し、明治43年(1910)に陶祖700年祭が行われ、初めて公園の設備がなされた。公園内には鎌倉時代から近代までの窯跡もあり、古くは庚申山、藤四郎山といわれて、瀬戸の人々から親しまれてきた。幕末の瀬戸の名工加藤岸太郎が中心になって成形・焼成、慶応3年(1867)に完成した日本最大級の陶製碑である。この陶碑を製作するにあたっては、北新谷の丸窯の中で造り、焼成後窯の入り口を壊して取り出し、コロを用いて庚申山まで運んだと伝えられている。高さ4.1m日本で最も大きいこの焼物は、昭和49年(1974)に瀬戸市の文化財に指定されている。
陶祖碑の建設より5年遅れて、明治5年(1872)陶祖碑の正面下段に一対の焼き物の灯籠が寄進された。陶祖碑の製作者加藤岸太郎がおよそ1年がかりで製作した。陶製志野焼燈籠は、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎の6部分から成り、陶製燈籠としてはわが国最大級の規模と最高の作行を誇るものである。平成5年(1993)に瀬戸市の文化財に指定されている。
陶祖800年祭記念事業として、六角陶碑堂や「六角藤棚」の整備をはじめ、青磁と瑠璃の陶柵の復元、加藤昭男制作の陶祖像の設置、瀬戸陶芸協会会員による階段蹴上げのタイル装飾やスツールの設置など、装いも新たになった。陶祖公園の園銘碑の園名板は、総持寺貫首の江川辰三禅師によるものである。
野球場としての陶祖グランドや防災緑地としても整備されている。
⇒瀬戸公園を参照
⇒六角陶碑を参照
⇒志野焼燈籠を参照