感応寺

かんのうじ


瀬戸市水北町950
小金山 感応寺。臨済宗妙心寺派。尾張城東三十三観音26番札所。天平6年(734)に行基によって開創、地名の小金にちなんで小金山と称し、行基作の雨乞観音が感応仏と呼ばれたので寺号を感応寺とした。当初は天台宗であったが、慶長5年(1600)に才庵によって中興された際に臨済宗妙心寺派に転じている。本堂に安置してある本尊聖観音は恵心僧都の真作であり、元禄7年(1694)作の開山行基菩薩木牌長歌、小金山景和歌が寺宝としてある。毎年8月17日の夜には提灯祭として知られる小金観音縁日が開催され多数の参詣者でにぎわいをみせる。近年、感応寺境内に聖観世音菩薩像、小金山山上に水子観世音菩薩像が建立されかなりの参詣者である。

感応寺(遠景)
感応寺(山門・塀)

覚城寺

かくじょうじ


瀬戸市追分町73
不動山 覚城寺。真言宗醍醐派。大正14年(1925)4月4日天台宗寺門派教分追分支部として教主小林種圓で設立された。昭和18年(1943)になり主管者山田覚圓法人真言宗修験道醍醐不動協会となり、昭和21年(1946)12月7日法人教会解散と同時に寺院に昇格し現在に至っている。本尊は法身体大日如来、弘法大師、不動明王。“お不動さん”と呼び親しまれ瀬戸市役所東隣の南北の通り「不動産通り」と言うのは覚城寺の不動明王に由来する。

覚城寺

栄昌寺

えいしょうじ


瀬戸市一里塚町108
弘徳山 栄昌寺。曹洞宗。宝泉寺15世天地圍山和尚を迎えて開山した。本尊は如意輪観世音菩薩であるが、遠州より迎えいれた日切地蔵尊が日を切って「願」をかけると必ず願いがかなうと言われ、近在の人々に「日切地蔵」さんと親しまれ、信仰を集めている。また伊勢の白子から迎えた子安観音も多く信者に親しまれている。寺宝として瀬戸最古の尊像と伝えられている陶製素焼きの弘法大師像があり、主な行事に弘法正当法要、施餓鬼会、日切地蔵祭がある。

栄昌寺(参道)
栄昌寺(本堂)

栄国寺

えいこくじ


瀬戸市西本町1-8
大平山 栄国寺。曹洞宗。国道155号線西本町交差点の近くにあり、油壁と山門が尼寺らしいやさしいたたずまいを見せている。明治34年(1901)水野常倫禅尼師の建立によるもので、尼僧衆研鑚の場として全国につとに有名。現在も常に30名程尼僧が修行を重ねている。本尊は見代り地蔵、御たすけ地蔵として知られる石仏延命地蔵願王菩薩で御札を身につけ病気の個所、傷の個所をさすって川に流すと地蔵が身代りとなって悪病が去ると言い伝えられている。その言い伝えを表わすように石仏が左から右へ袈裟がけに切られ上下2つに割られている。年中行事としては市民によく知られている(地蔵盆大祭)の他(花まつり)大般若会、御涅槃会、施餓鬼、両彼岸会がある。

雲興寺

うんこうじ


瀬戸市白坂町131
大龍山 雲興寺。曹洞宗。本尊として釈迦牟尼仏、左右に脇仏の文珠菩薩、普賢菩薩を祀ってある。盗難除けの守護身である護法性空威徳山神が祀られている事ことで有名。至徳元年(384年)天鷹祖祐禅師によって開山され、当時の堂塔(七堂伽藍)は、足利3代将軍義満公の帰依によるものと言われる。応永6年(1399)2代天先祖命禅師の時に悪鬼が出没して人命を奪ったため、禅師がその鬼に般若経の無性法の義を授け「性空」と名付けた。「性空」は将来盗難鎮護の守護神になる事を誓って盤石を残した。足利幕府、信長、秀吉そして徳川幕府からの保護があつく明治維新前は寺領300石を有する格式ある修行寺であった。その歴史が示すように寺宝は絹地鳶色御開山衣を初めとして、足利義輝・信長・秀吉・家康に係るものが多彩である。毎年4月24・25日の開山忌、性空山神大祭がある。周囲は常緑に包まれ尾三濃3国の国境いの近くにあり、東海自然歩道のルートにあり行楽の拠点としてよく知られている。また境内には碍子で作られた塔が立っている。

雲興寺本堂
雲興寺鐘楼
雲興寺性空石

山口八幡社

やまぐちはちまんしゃ


瀬戸市八幡町3
山口神社。社名を山口八幡社というが地元からは単に八幡社と呼ばれている。社伝によれば、1221年の承久の変の折、山田次郎重忠が後鳥羽上皇に加勢し奮戦したが敗れ、重忠は一族とともに、この山口村へ落ちのびた。そしてここに八幡宮を勧請したといわれる。建物は南から石鳥居・二ノ鳥居・唐門・拝殿・祝詞殿・本殿と続くが、この石鳥居の脚柱に延宝5年(1677年)12月吉日の年号があり、これは瀬戸市内の鳥居の中で最古のものである。境内の西の一段高くなった所に「山口天神社」と「山口稲荷神社」の末社が鎮座し、稲荷社は横穴式石室の中に社殿がある。また境内には通称「杉塚」と呼ばれる古墳群がある。

山口八幡社 拝殿・唐門・石造鳥居

富士浅間神社

ふじせんげんじんじゃ


瀬戸市上之山
富士浅間社は、上之山の富士山の頂上付近に祀られている。元は掛下の神明社の末社であった。かつては上之山に拠点を持っていた一族が祀っていたとのことであるが、明和4年(1767)、猿投山に大崩落をもたらした集中豪雨によって山口川が氾濫し、低地にあった旧集落が砂入りになり、一族は村北西に移住して今林を開いたと伝えられている。地元では「お富士山」と呼び親しみ、子授けの神としても信仰され、大祭は4月第4日曜日にある。

富士浅間神社(参道)
富士浅間神社(本殿)

深川神社

ふかがわじんじゃ


瀬戸市深川町11
創建は771年(宝亀2年)、祭神は天照大神と素盞嗚尊との間に生まれた五男三女の神々を祀る。宮司は二宮弥史郎、宝物は国指定重要文化財である陶製狛犬と梵鐘、例祭は10月の第3日曜日。名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅から徒歩10分程で、瀬戸川に面して鎮座する。石段を登り鳥居をくぐると、拝殿前の墳丘が深川神社古墳である。横穴式円墳で石室の中心軸は約4m、石積みの方法や規模から6世紀頃のものと推定されている。本殿は諏訪の名匠・川和四郎により、文化年間に造営された。なお、この神社は当瀬戸市の産土神として由緒がある。社伝によれば陶祖藤四郎がこの神社に参龍した折、御夢霊験により社の辰巳に当る祖母懐の土を得たと言われている。瀬戸の街の発達の一つの形態として、深川神社を中心とした門前がにぎ合い街の中心となった。現在でも「瀬戸へ行く」と言うのは宮前付近に行く事を表している。

八剱神社(余床町)

はっけんじんじゃ


瀬戸市余床町756
祭神は日本武尊、武内宿祢、大山祗命が祀られている。創建については明らかでない。元は武内社とも言った。大正6年(1918)9月28日同村鎮座の山神社を合祀し、社号を八剣神社と改称した。例祭は毎年10月15日直前の日曜日に行われる。