山の田町

やまのたちょう


昭和45年4月15日、大字本地の一部を町名設定。もとは本地の一部。寛政5年の本地村村絵図にも「山ノ田」や雨池,(山ノ田池)が描かれており、「カリマタ,(雁又)」の沢に開田された水田の呼称であったようである。

やまて坂

やまてざか


平成?年?月?日、山手特定土地区画整理事業にあたり町名を設定。1~3丁目がある。
→山手特定土地区画整理事業

山手町

やまてちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは中水野の一部。一部が、同43年松原町、同59年西松山町となり、同年小田妻町1~2丁目の一部を編入。

山路町

やまじちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは赤津の一部。山路嶋は江戸期からの郷で、『尾張徇行記』にも「支邑山路ト云、是ハ本郷ヨリ二十町ホトヘタチ、三州猿投山境ニアリ、元ハ本田所ナリシカ、頽敗シテ再見取畠ヲヒラケリ、此山路ハ万治年中ニ再興スト也」と記し、弘化2年の記録では戸数4戸の集落であったとあり、江戸時代には赤津村の支村として山路があったとされる。山路町は、猿投山の西山麓に位置し、山口町から猿投山に登る険しい山道があるところから、山路と呼ばれるようになったといわれる。

柳ヶ坪町

やながつぼちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。当地を含め山口川右岸の若宮町から石田町までと、左岸の大坪町地区は古代条理制の遺構をもち、碁盤目状の地割・用水路網がよく残されていたが、戦後の土地改良で消失した。

屋戸町

やとちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。江戸期の村絵図には「屋頭島」と記す。山口八幡社の警固祭りに使用される9本の銀鷹の矢のまといだしは、武田信玄の武将山田信濃守の物見ヶ嶺の大蛇退治の言い伝えが馬標となっている。町の西境には大坪町に続く条里遺構があり、集落が嚆矢の誇りにこの字をあてたという。

八床町

やとこちょう


昭和40年5月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは下品野の一部。地名は一帯に良質の陶土層が重なっていたことからという。江戸期は八床御林・御鳥林の山林地帯であったが、近代に入って粘土鉱山として開発が進んだ。

安戸町

やすどちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字安戸の一部。昔は、瀬戸村安土、水野村安戸の両村にこの地名が見られた。「尾張誌」によると、安戸には安土坂があり、この坂は品野村と今村との間にあると記されている。この坂の名から町名がつけられたといわれている。
北川民次画伯アトリエ(旧モロ跡)

薬師町

やくしまち


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字薬師、前田の一部。江戸末期ごろまで、現在の薬師町10番地付近に御薬師様をまつったお堂があったところから、薬師町と呼ばれるようになった。なお、この御薬師様は現在寺本町の宝泉寺に安置されている。