掛川小学校

かけがわしょうがっこう


明治25年10月1日創立。掛川小学校は下半田川町と定光寺町を校区とする。世帯数が少ない数だけに、本校に通学してくる児童数も減っている。

掛川小学校

明眸

めいぼう


柴田合名会社 寛延年間(1748~1751)創業以来清酒醸造業を営み、その代表清酒銘柄として古くより瀬戸の人々に親しまれて来た。「明眸」澄み切って美しいひとみを意味し中国の詩人杜甫が楊貴妃を偲んでうたった詩「哀江頭」の中で美人の代名詞として使われている言葉。
平成12年(2000)の廃業に伴い、愛知県北設楽郡設楽町の蔵元「関谷醸造」が譲り受け醸造を続けている。

瀬戸焼そば

せとやきそば


昭和30年代、深川神社参道で開いた店「福助」が発祥。独特の食感のある蒸し麺と醤油ベースの豚の煮汁を使った瀬戸市ならではの「焼きそば」のこと。近年、人気は瀬戸市民にとどまらず、これを目当てにした観光客も訪れる名物ご当地グルメとなっている。
平成24年(2012)3月に設立された瀬戸焼そばアカデミーでは、この瀬戸焼そばを、①麺は蒸し麺を使用、②味付けは豚の煮汁や醤油ベースのタレを使用、③具材は豚肉とキャベツが主体、④せともの(瀬戸焼)の器を使用(お持ち帰りは除く)と定義している。
平成27年(2015)に瀬戸焼そばアカデミーが「B-1グランプリ」に初出展した。

せとめし広場

せとめしひろば


平成21年(2009)~平成26年(2014)、せと・あとりえ参道にあわせて、その昔昼夜を問わず働くやきもの職人たちの体力を支えたという瀬戸ならではの味「せとめし」を一堂に集めて紹介する場として、瀬戸蔵屋外広場において「せとめし広場」を開設。
瀬戸焼そばをはじめ、ごも(五目めし)、ホルモン、瀬戸豚などを販売。平成23年(2011)には「道の駅瀬戸しなの」と「カレーハウスCoCo壱番屋」のコラボレーション企画として『瀬戸豚やわらか煮込みカレー』を販売し好評を博した。またライブステージも行われ、音楽と食を愉しめる空間であった。

せとめし

せとめし


瀬戸の味を代表する「うなぎ」、「五目飯(ごも飯)」、「瀬戸焼そば」などを総称してせとめしと呼ぶ。
やきものを窯で焼く際の体力補給として親しまれた「うなぎ」や「五目飯(ごも飯)」。瀬戸で焼きそばといったら、ソースの焼きそばではなく、豚肉の煮汁で焼いた「瀬戸焼そば」を指すぐらいポピュラーである。

瀬戸みやげ推奨品

せとみやげすいしょうひん


瀬戸商工会議所が平成13年(2001)4月より瀬戸地域活性化を目的に主催している。学識経験者や瀬戸市内関係団体から構成する瀬戸みやげ推奨品選定会が、郷土色や商品内容、包装、贈答用に適しているか等の審査を行う。合格した商品のみが「瀬戸みやげ推奨品」認定登録商品として、「瀬戸のおみやげガイド」に掲載されるとともに、認定シールを貼付することができる。

品野つくし会

しなのつくしかい


岩屋堂公園を含む品野地区のまちづくりに協力し、地域・社会の発展のため、努力・貢献していくことを目的に結成された市民団体。平成19年(2007)、瀬戸市品野地区の住民5人で結成。平成26年(2014)4月にNPO 法人となった。会員たちはライトアップ岩屋堂の他、公園の清掃や草刈りなどの環境保全活動も行っている。
⇒「ライトアップ岩屋堂」参照

瀬戸焼そばアカデミー

せとやきそばあかでみー


瀬戸市見付町38-2(瀬戸商工会議所内)  82-3123
瀬戸焼そばアカデミーは、瀬戸焼と瀬戸焼そばの文化を通じ、瀬戸市の名を全国に広め、瀬戸市のイメージ向上と、瀬戸市民の郷土愛を育み、瀬戸市の地域活性化を図ることを目的に、平成23年12月に発足し、翌年3月に設立された団体。全国的に瀬戸市のブランドとして広げていくため、「瀬戸焼そば」とはどういうものなのかを確立し、市民の家庭に瀬戸の食文化として定着させ、提供する際の器に“瀬戸焼”を活用した食と器のコラボレーションを行い、新たな地域資源としてプロモーションをしていく必要があります。そこで、この瀬戸焼そばを、家庭から地域、地域から全国へと羽ばたかせることで、瀬戸市のイメージ向上、市民の郷土愛の醸成、そして地域の発展と産業の発展につながることを願って、「瀬戸焼そばアカデミー」を運営している。

山口 ホタルの会

やまぐち ほたるのかい


山口地区の吉田川のホタルは、昭和38年(1963)からの土地改良事業で絶滅したと思われていた。しかし、昭和55年(1980)頃から自然発生し始め、再び多くのホタルの姿が見られるようになった。山口地域まちづくり協議会では、平成14年(2002)~平成16年(2004)に私有地を借りて環境水田を作りホタルの保護活動開始、平成17年には吉田川沿いにビオトープを完成した。このようにホタルの保護活動を始め、養殖などを一切行わず、草刈や枝打ちなど水辺の環境を守ることでホタルの自然繁殖を目指した。そして山口地域まちづくり協議会から独立して、専属で保護活動をする団体「山口ホタルの会」が平成15年(2003)6月に年発足した。例年、環境整備と観察会が行われている。

定光寺ほたるの里の会

じょうこうじほたるのさとのかい


ほたるの里作りは、もともと市民ボランティアが実践する里山保全活動のモデル事業としてスタートした。平成9年(1997)、「市民による里山の保線と活用」の研究を、2005年日本国際博覧会協会から瀬戸市の市民団体「水野地域まちづくり協議会」が委嘱され、ホタルの復活に取り組み始めたのがスタート。その翌年の平成10年(1998)10月に整備が始まり、希少生物の調査や水路の整備に取り掛かった。もともとあった棚田を生かしたジグザグの水路も酸素補給用の水車もすべてボランティアの手作り。下流に水質浄化用のセラミック多孔体を設置し、ポンプで水を再び上流に運んでリサイクルする水路が平成11年(1999)の3月に完成。ホタルの幼虫と、その餌となるカワニナ(貝の一種)を放流したところ、その年の6月にホタルの飛翔が初めて確認された。平成12年(2000)にはホタルが飛び交う様子が確認され、一般公開もされるようになった。その後もバリアフリー化、新しい棚田の造成など、地元企業の協力もあり、その規模は次第に大きくなり、テレビや新聞などでも大きく取り上げられたことから、毎年の一般開放には多くの人が訪れるようになった。
平成12年4月、「定光寺ほたるの里の会」がまちづくり協議会から独立して発足した。その後も、地域の枠を超えた市民を対象に、ほたるの里やその隣の稲込の郷で、ホタルの幼虫の放流やホタルの鑑賞会、里山体験、稲作体験など、年間を通じてさまざまなイベントを行ってきた。イベントがなくても、週末になるとボランティア数名が集まり、ほたるの里の整備など、自然に囲まれての作業を楽しんでいる。