森村市左営門が1867年に創設した貿易会社で、当時ニューヨークにモリムラ・ブラザーズという販売部門をもち、陶磁器をはじめとする雑貨製品のアメリカに向け輸出で経営的に成功をおさめていたその森村組の首脳は、アメリカに向けて輸出できる陶磁器製品を求めて明治前期から積極的に瀬戸を訪問し、産地の代表的製造業者であった川本枡吉、川本半助、加藤春光等と接触を重ね、コーヒー茶碗の開発などに成果をあげた。明治中期に入っても、森村組は瀬戸にニューヨークのモリムラ・ブラザーズから届いたさまざまな製品を持ち込み、製造を依頼し続けた。その結果、瀬戸の産地としての技術水準は向上し、1890年ころにはファンシーラインのいかなるものでも製造できるようになったといわれている。瀬戸が、日本最大の輸出陶磁器の素地の産地に成長した要因の一つは、森村組を通じてアメリカ市場の最新の動向に接し得たことにあったといえる。