古瀬戸小学校の東の道を登る途中の左側に石室のように作られた祠に弥蔵観音が祭られている。もともとこの場所ではなく、300mぐらい登った弥蔵ヶ嶺というところに奉安されていた。祠から古瀬戸小学校へぬける道がつくられたときに現在の位置に移された。この弥蔵観音はできものを治す観音さまとして知られ、毎年7月18日の夜は縁日で遠近からの参詣者が多くある。この観音に願かけして全快すれば、お礼まいりに7種(7色)の菓子、または百だんごを供えることになっている。祠に向って左側に祭られている「人馬安全天保4年(1833年)巳4月吉日」と刻んだ石像が弥蔵観音である。向って右側は「慶応4年(1868年)戌辰3月〓1日恵林明可信士」と刻んだ石像が弥蔵弘法である。これは加藤親次氏の祖父弘三郎(慶応3年5月19日亡)を祭ったものである。弘三郎が「腹の痛むのは、私に頼めばなおしてやる」と遺言したところから、死亡の翌年3月21日の弘法大師の縁日に「弘法様」として祭りはじめたものである。