瀬戸市窯神町
第2次大戦後間もなく、藤井達吉が愛知県西加茂郡小原村鳥屋平(現豊田市)に13棟の宿泊小屋や共同工房を建設し、七宝・和紙工芸・陶芸などの工芸運動を進めながら「小原農村美術館」の建設を目指した。戦前から藤井に師事した瀬戸の亀井清市・水野双鶴・鈴木八郎らもそれに参加した。昭和25年12月まで共同生活が続けられた。
昭和27年、百姓屋を移築して共同工房として使用された建物を陶芸家亀井清市・栗木伎茶夫・水野双鶴・鈴木八郎氏らの尽力で達吉と親交のあった当時の加藤章市長に寄贈されたものである。市街地を見下ろす御亭山(おちんやま)に移築された。草葺入母屋造りの旧建物は、「陶の路散策路整備事業」の核施設として全面的に改修され現在は茶室として活用されている。「夢風庵」の名称は、藤井達吉の雅号『夢風』に由来するもので芸術家村の当時から使用されていたものである。