竹露庵

ちくろあん


瀬戸市藤四郎町
夕日窯跡の碑が立つ坂道を登ると、草葺きの瀟洒な茶室が建つ。陶祖公園茶室「竹露庵」である。
この茶室は元名古屋幅下の某家に在ったが、明治初年に道路拡幅のため取り壊されるところを新居の彦惣家に移築、さらに明治19年に瀬戸の加藤蘭法医・山陶屋加藤景登らが相談して瀬戸公園(当時の藤四郎山)に移築したという。この時有栖川宮を迎えた際に「竹露庵」と命名された。
爾来、会員の月掛金を持って維持されてきたが、当時の使用規則が残されている。
一、 会員たる者は一ヶ月金五銭づつを差し出すべし、さすれば毎日登庵するも妨げなし。
一、 会員たらざる者は登庵の際一名につき謝儀として金弐銭づつ差し出すべし。
一、 本庵に於ては歌舞弦鼓勝負の類を禁ず。
(『瀬戸ところどころ今昔物語』)