ゴット・フリート・ワグネルは1831年7月5日ドイツのハノーバーに生まれ、ゲッチンゲン大学を出た。明治元年(1868)、石鹸製造所設立のため長崎へ来た。明治3年(1870)佐賀藩から招かれて、有田で石炭窯の焼成法や天然呉須に代わる酸化コバルトなど各種釉薬の使用法を指導した。その後、東京大学の前身、開成所の教師となる。また、明治6年(1873)のウィーン万国博には政府の顧問として大きな足跡を残した。陶磁器の焼成に当って使われるゼーゲル式温度計も彼がドイツからもたらしたものである。瀬戸で石炭窯を築いたのは明治34年(1901)瀬戸陶器学校で、当時の校長はワグネルの指導を受けた黒田政憲であった。この石炭窯の導入により、また、陶器原料貯蓄場といわれる製土工場が大量の均一製土を供給することで、瀬戸の窯業生産力は大いに進歩した。
ワグネルは、日本陶業の父といわれ、日本の窯業界に大きな影響を与えた。ワグネルの教えを受けたものには、日本窯業界の大物が大勢いる。明治25年(1892)11月8日永眠、墓は青山墓地にある。