早稲田柳右衛門

わせだ りゅうえもん


昭和53年(1978)4月12日 名誉市民に推挙
明治33年(1900)2月25日 生
昭和59年(1984)4月15日 没
 昭和4年(1929)に市議会議員となり、昭和21年(1946)から衆議院議員として30有余年の長きにわたり、終始一貫地域の発展と国政の振興に全力で傾注された。

昭和4年(1929)、瀬戸市議会議員に当選以来通算3期12年余、昭和21年(1946)衆議院議員に当選以来連続12期20年余、半世紀以上、戦前戦後を通した政治生活は、中央はもとより中部各地、愛知県下そして瀬戸市、小牧市と、広範多岐にわたって数々の足跡を残した。
特に中小企業問題に並々ならぬ熱意を燃やし、昭和14年(1939)には商業組合を結集し、瀬戸商業組合連合協議会設立に奔走した。戦後は敗戦による経済混乱に対処し、日本経済団体連合会、商工組合中央会、日本度量衡協会、日本治山治水協会等各種団体の役員を歴任、日本再建に努力するとともに、瀬戸市においては昭和22年(1947)瀬戸商工会議所の設立と同時に初代会頭に就任、商工業の振興に大いに手腕を発揮した。
昭和21年衆議院議員に当選されて以来国政の枢機に参画し、その間郵政政務次官をはじめ財政及び金融、図書館運営、商工、懲罰の各委員長、さらに各種重法案委員会常任委員及び特別委員会の理事、委員としてその職務に精励され、平和国家の建設と民主政治の進展に尽くした。地方にあっては、治山治水事業の推進、伊勢湾台風の災害復旧、愛知用水及び名古屋空港の整備拡充をはじめとした数々の政策を推進した。瀬戸市にあっては、戦後最大の課題であった旧東京大学演習林の払い下げ及び国鉄岡多線瀬戸線の早期敷設について多大な尽力があった。
昭和45年(1970)に勲一等瑞宝章。昭和50年(1975)勲一等旭日大授章を親授される。また、昭和53年(1978)瀬戸市並びに小牧市の名誉市民に推挙された。