昭和63年(1988)5月26日 名誉市民に推挙
大正6年(1917)6月18日 生
平成18年(2006)2月19日 没
昭和38年(1963)に市長に初当選以来24年間にわたり、市政の発展と市民の福祉向上に献身的な努力をささげられた。
昭和13年(1938)に当時の名古屋高等商業学校(現在の名古屋大学)を卒業後、直ちに家業の山繁合名会社を継ぎ、事業の発展にたゆまない努力を傾ける一方、青年実業家としての優れた才能とその円満な人柄は産業界においても大きな信頼を集めている。昭和22年(1947)には弱冠29歳で瀬戸陶磁器商業協同組合の理事長に就任し、更に同年瀬戸商工会議所の設立と同時に副会頭の要職に就いた。昭和32年(1957)には瀬戸輸出陶磁器完成工業組合の初代理事長に就任した。こうした実績のもと、昭和38年(1963)に瀬戸市長に初当選依頼、連続6期24年間にわたって市政を担当した。その間、本市発展の積年の夢ともいえる市域を分断する東京大学演習林の払い下げに伴う開発事業に取り組み、水野住宅団地の開発、総合運動公園としての市民公園の開発整備、水野準工団地の開発事業をはじめとして、教育施設、上下水道の整備充実、市場の統合整備、墓苑の造成、じん芥焼却場の建設、福祉施設の整備、文化センターの建設、公立陶生病院の改築、東公園、南公園の開発整備など厳しい財政事情の中、山積する大事業を積極的に推進し、行政水準の確保と市政全般にわたる均衡ある発展のため、献身的な努力をした。また、国の施設である中小企業大学校の建設誘致及び県の手による労働者研修セツター、穴田企業団地・暁工業団地、菱野団地、陶磁資料館、窯業訓練校、窯業技術センターの建設誘致など積極的な誘致推進に努め、地域の発展に多大な貢献をした。
また、愛知県市長会長、東海市長会長、そして全国市長会副会長をはじめとする各種団体の役員として地方行政の発展充実にも寄与した。
昭和58年(1983)藍綬褒章受章、昭和63年(1988)紺綬褒章受章、同年多年にわたり瀬戸市政の発展に尽くした功績により勲三等旭日中綬章を受章、瀬戸市より名誉市民に推挙された。