明治24年(1891)10月28日午前6時38分ごろに中部日本に大地震が発生した。この地震は揖斐川上流域の岐阜県大野郡根尾村を震源として発生したもので、東海・北陸地方・近畿地方東部、とくに美濃西部から尾張北西部にかけては記録的な大被害をこうむったので濃尾地震とよばれ、知名な大地震の一つである。
地震の規模(マグニチュード、M)は8.4であり、震域は仙台以北を除き、日本中にわたって強い震動を感じた。濃尾平野・美濃北西部から越前平野にわたって、最も激しかった。
震災地を通じて死者7,469人、負傷者19,694人、住家全壊85,848戸に達し、平均住家全壊11戸につき1人の死者の割合であった。余震(有感)は大震後2年間に岐阜では3,365回、名古屋では1,278回を観測し岐阜では10年間も続いた。そのうちもっとも強かったのは、明治25年(1892)1月3日、 9月7日、27年1月10日の3回であった。
愛知県下の死者は2,459人の多数にのぼり、県内に発生した災害では伊勢湾台風につぐ記録的な人災害であった。被害程度についてみると、中島郡の被害がもっとも大きく、ついで葉栗郡・西春日井郡・海東郡・丹羽郡・海西郡・愛知郡・東春日井郡・名古屋市の順となっている。
東春日井郡の各村の被害は比較的軽微で、郡全般についてみると30%位の被害であった。被害のもっとも甚だしかった町村は小牧町・岩崎村であった。また、瀬戸村・赤津村・品野村では陶磁器窯がことごとく崩壊し、その総計は542窯にのぼった。瀬戸村付近では、窯の崩壊だけでなく、焼き上げた製品の破損もおびただしかった。また、陶土採堀場の崩壊か所も少なくなかった。