1957年(昭和32年)8月8日、集中豪雨によって市内全域で大きな被害を受けた。歴史上、空前の災害となった。特に須原町地内の地滑りは、全壊9戸、半壊2戸、生埋めになった者45人となった。しかし地元消防団や愛知県東春日井郡高蔵寺町の自衛隊などの救出作業のおかげで、9日正午までに須原町では、23人が救出されたが死者21人、行方不明1人となった。また、品野地区では、家屋の流失により死者8人を出す大惨事となった。現場は十数年前から陶土採掘場に使われ、地盤がゆるみかけていたうえに、8日の夜の雨で一挙にくずれたものとみられる。