瀬戸市内田町1丁目
瀬戸市域内には120基余の古墳が確認されているが、その半数が、水野川流域に分布する。水野川が形成した水野谷の最下流部にあるのが四ツ谷古墳群(5基)と隣接する七郎左古墳群(8基)で海抜100m前後の丘陵上に分布する。
旧下水野四ツ谷の採石場で緊急発掘調査が行われたのが、四ツ谷3号古墳で昭和35年12月から同36年1月にかけてのことであった。比高17mの急崖上で崩落寸前の墳丘と石室が発見され、瀬戸市教職員考土サークルによって事前調査された。その結果、封土の殆どは流失しており、石室の石が散乱する状態であったが、両袖の羨道・詰石・柱石・奥壁側に丸味をもった縦長の石室・鏡石・敷石を備えた一般的な横穴式古墳であった。基盤の岩石は古生層の砂岩・粘板岩およびチャートである。石室は全長6m、主軸の方向はN30度Eで、羨道部は長さ2.2m、幅1.4m(奥)・1.3m(羨門)の側壁・床面が残存した。平瓶・提瓶・高杯などの須恵器、青銅製環や刀子などが出土した。また2次面からは四耳壺・山茶碗・小皿などの中世陶器が出土した。
報告書中に隣接する七郎左第3号古墳(旧中水野通称七郎左所在)の情報が載る。個人宅の納屋新築中の壁土採土で須恵器(蓋付・高杯・坩など)7個体、鉄鏃15本、ガラス玉33個を採集している。石室は最下段の石積みが一部残存したが大部分は滅失していたとされる。
(参考文献 「四ツ谷三号古墳」)