瀬戸市上之山町2・吉野町・宮地町
瀬戸市の南東部、国道155号線と県道力石名古屋線(猿投グリンロード)が交わる丘陵地に大型住宅地開発が計画された。愛知県住宅供給公社による「サンヒル上之山」である。約31.5haの造成地には吉田古墳群・吉田奥古墳群と広久手古窯跡群の一部(7基)を包蔵しており、昭和61年から事前の発掘調査が実施された。
造成地南東部の丘陵稜線上の標高165m前後の位置に吉田奥2・3・5号墳が並ぶ。2号墳は径12mの墳丘を持つ円墳で、主体部は北西に開口した長さ4.8m、最大幅1.1m、残存高1.1mの「竪穴系横口式石室」で、玄室から須恵器の提瓶・蓋坏、鉄製刀、ガラス玉などが出土した。3号墳は砂防工事で墳丘前半分が滅失、同5号墳も石積みの一部を残すのみであった。6世紀中葉ころの築造とされた。
なお、古墳が想定されていた4号遺跡は中世の「小規模砦跡」であった。また古墳時代前・中期の住居跡4棟、土坑1基などを検出した「吉田奥遺跡」は鍛冶遺構が発見された。
吉田古墳群(4基)は、吉田奥古墳群が所在する丘陵の北側に位置し、標高140~150mの丘陵に立地している。粘土採掘によってすでに滅失したものが多く、尾根上に構築された2号墳が調査された。径11mの円墳で、主体部は西南西に開口した長さ5.2m、最大幅1.45mの片袖構造を有した「竪穴系横口式石室」で、天井および側壁の石積みは滅失していた。玄室は長さ3.7m、床一面に径5~15cmの円礫が敷き詰められていた。玄室からは須恵器のはそう・短頸壺、土師器の甕、刀子、菅玉、ガラス玉などが出土、これらから7世紀初頭の築造と比定された。本古墳は供給公社との協議で古墳公園に移築復元されることになった。
(参考文献 「上之山」)