加藤民吉翁碑

かとうたみきちおうひ


瀬戸市窯神町 窯神神社
 窯神神社は、九州肥前で磁器製法を習い瀬戸に伝えて「磁祖」と崇められる加藤民吉を祀る。民吉が瀬戸に帰村したのは文化4(1807)年6月18日とされている。
 境内には「磁祖加藤民吉翁碑」を始め、「津金胤臣父子頌徳碑」、「加藤唐左衛門高景翁頌徳碑」など瀬戸新製焼(染付磁器)開発に尽力した人々の遺徳を偲ぶ碑類が建立されている。
 民吉像(青銅製)の前に立つ石碑(85cm角、高さ115cm、花崗岩製)には、四面に亘り1,117文字の民吉の事柄について印している。碑文の撰者は漢学者として名高い浅野哲夫(醒堂)、書は名古屋の書家大島徳太郎(君川)で、大正11(1922)年秋9月の紀年銘がある。
 なお、この石碑に並列してその左(西)側に全く同形・同規模の石碑も立つ、この石碑は後年民吉翁像建立の際に立てられたもので、永塚楽治撰、浅野金康書と1昭和12年秋9月の紀年銘がある。碑文の内容は「今日の殷賑大盛は民吉翁の導きに因る。像の鋳造を以て千載に伝える哉(大意)」(179文字)とあり、碑の背面に瀬戸市と瀬戸市の産業三団体が建之と記されている。