加藤景登翁碑

かとうかげとおうひ


瀬戸市藤四郎町
 瀬戸市の陶祖公園(瀬戸公園)には陶祖藤四郎の伝記を記した六角陶碑(市指定文化財)が建つ。碑の建設に尽力したのが山陶屋(屋号)の加藤清助景登であった。景登は幕末期の瀬戸村里正(庄屋)や陶業取締役を務め苗字帯刀を許された有力者で、明治17(1884)年2月に79歳で没している。
 景登の没後、瀬戸の恩人陶祖碑建設の主唱者加藤景登の顕彰碑建設が建議され、瀧藤萬治郎・川本留助ら28人の有志が資金を集め、製作を寺内信一(半月)に依頼した。半月が制作・図案・彫刻を担当し、焼成を加藤繁十窯の一間を使用した。高さ5尺、幅2尺、厚さ1尺の中空の陶碑は明治24(1891)年立派に完成した。ところが、同年10月28日の濃尾大震災で瀬戸70余窯が崩壊する災害が起こり、同碑もバラバラに壊れてしまった。セメントで接続し、陶祖碑の下に建設した(『尾張瀬戸・常滑陶瓷誌』)。
 「景登翁之碑」のさん額は勝間田稔、浅田申之撰とあり碑文の紀年は明治二十年己丑十月とあり、もしこの明治20(1887)年に竣工したとすると先の半月手記の明治24年完成とはタイムラグがある。