瀬戸市暁町
水野川左岸(南側)には低山性丘陵が続く。県道中水野・品野線沿線地帯が、昭和44年から県企業局によって穴田企業団地(面積59.2ha)造成が始まり、次いで暁工業団地(面積31.3ha)造成に引き続いた。この地域には穴田古窯跡群・穴田古窯跡群・暁古窯跡群の多くの中世古窯跡が分布する。
暁1・2号窯は昭和58年の暁地区内陸工業用地造成に伴う発掘調査で、いずれも13~14世紀に稼働した山茶碗・施釉陶器を焼造した窯であることが確認された。次いで昭和62年に暁西企業団地造成に伴う暁3・4・5号窯の緊急発掘調査が実施された。3~5号窯跡はいずれも水野丘陵北端の標高110~115mの東側斜面に並列して築造されていた。その東約500mに同1・2号窯跡が位置する。窯体部の保存状態が最も良好だった第5号窯で全長8.2m・最大幅2.6mの燃焼室・焼成室を持ち、焼成室の天井壁は滅失していたが残存する床面は32~37°の角度で上昇する。分炎柱付近は窯廃棄後に工房に改造された痕跡が確認された。物原からは工房跡(ロクロピット・土坑など)や炭焼き窯も出土した。
3~5号窯はいずれも14世紀代の稼働で、無釉の山茶碗・小皿・片口鉢・入子や天目茶碗・平碗・皿・瓶子・四耳壺・祖母懐壺などの施釉陶器で焼造していた。
昭和58年の調査の際には、隣接する数成口1・2号窯跡(13~14世紀代の山茶碗・施釉陶器焼成)も発掘調査されている。
(参考文献 「暁窯跡」)