瀬戸市八床町・品野町2
瀬戸市域の北東地域を占めるのが、旧品野町、北西地域を占めるのが旧水野村である。この両地域を水野川が流れ、その左岸(南側)に標高100~200mの穴田丘陵が展開している。所々に品野層群や瀬戸層群の粘土層が路頭し、有数の鉱山地帯となっている。
県道品野・中水野線沿線の八床町、穴田町は瀬戸有数の古窯跡が分布する。昭和40年代以降の鉱山採掘や企業団地の造成によって、多くの古窯跡が滅失した。
昭和36年、瀬戸市史編纂のための八床1号窯の学術調査が実施され、13世紀後半代の山茶碗・施釉陶器窯が明らかにされた。また、昭和44年には陶土採掘開発による緊急調査が瀬戸市教職員考土サークルによって実施、八床2~8号、10~12号窯が発掘調査された。ところが、このときの調査資料(実測図・写真など)は保管されていた旧瀬戸市歴史民俗資料館の火災によって焼失してしまった。
平成10年、再び愛知陶磁器工業共同組合の土砂採掘による事前協議が実施され、約30ha内の八床古窯跡群21基の精査が行われた。その結果、3~8号、11~14号、20号窯は現状保存、9・10号窯を発掘調査することとなった。
八床9・10号窯は群中北寄りの丘陵最高所(標高199m)北に伸びる尾根の西側斜面に在り、尾根の反対斜面には7・8号窯が所在する。調査の結果9号窯跡(13世紀・山茶碗・施釉陶器)はすでに流失、10号窯跡の窯体・灰原の大半も流失した13世紀代の山茶碗・施釉陶器窯であった。(参考文献 「八床9・10号窯跡」)
品川北古窯跡群 八床町・品野町6 八床古窯跡群の北に隣接して品川北古窯跡群8基が分布する。この両者は13世紀以降、集中的に創業した古瀬戸前期様式の山茶碗専焼窯または山茶碗・施釉陶器併焼窯で、一部は古瀬戸中期様式(14世紀代)まで継続した。古瀬戸後期様式(15世紀代)の施釉陶器専焼窯(八床18~20号窯)も散見される。