昭和38年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは菱野・本地の一部。明治22年10月、本地村と菱野村が合併し村内の八幡社と熊野社の一字ずつをとって幡野村と呼ぶこととした。さらに明治39年5月、幡野村と山口村が合併して幡山村となり、そして、昭和30年2月、瀬戸市に合併し町名設定する際、昔の八幡野村の名を残そうということでこの地を幡野町と名付けた。昭和60年一部が東赤重町1~2丁目、赤重町となり、同年緑町と境界変更。幡野村:明治22~39年の愛知郡の自治体名。菱野・本地の2か村が合併して成立。村名は八幡社と熊野社の社名の各1字をとったものといわれる。
→古窯・菱野団地古窯跡群