安藤政二郎

あんどうせいじろう


明治30年(1987)10月12日~平成6年(1994)10月12日
東加茂郡旭町に生まれる。大正7年に愛知県巡査を拝命し、新栄署、江川署、犬山署等に勤務した。その後、惜しげもなく巡査を辞める。昭和6年(1931)、「大瀬戸」を日刊紙として発行した。昭和8(1933)年には『陶都人士録』、そして昭和16年(1941)に『瀬戸ところどころ今昔物語』を発刊した。翌々年、強力な新聞統制により、「大瀬戸」は廃刊されたが、昭和27年(1952)に複刊「大瀬戸」の第一号を発刊した。昭和28年(1953)には瀬戸市史編纂準備委員として委嘱され、その後編纂委員として活躍した。昭和31年(1956)には『改定瀬戸ところどころ今昔物語』(安藤政二郎著、滝本知二改訂)を発刊した。

加藤 庄三

かとう しょうぞう


明治34年(1901)5月~昭和54年(1979)5月
瀬戸市西谷町に生まれ、瀬戸尋常高等小学校を卒業。大正5年(1916)父喜太郎の死去のため、家業の窯業原料商を継ぐ。昭和7年(1932)珪酸曹達の生産を開始、昭和40年(1965)愛知珪曹工業(株)会長に就任する。
瀬戸市史準備委員会の委員に委嘱されるが、委員会は難航したため委員を辞退する。それでも、磁祖民吉については「瀬戸生まれでないと」との責任感から、長い年月と私財を投じて、民吉の足跡を追って九州まで何度も赴き調査を進めた。庄三が永年にわたって調査の累積は自身の手によりまとめられていたため、『民吉街道』として遺族の手によって刊行された。
庄三は瀬戸を中心に遺された古文書や遺跡などの文化財を調べ上げ、こと細かに筆記で写し取っているが、その記録は膨大にのぼり二次資料とは言え貴重な資料となっている。