瀬戸市穴田町
県道中水野・品野線北側の丘陵内に11基の古墳群が分布した。現在は企業団地造成事業によって大半が滅失した。
昭和44年8月、愛知県企業局による内陸用地造成事業(穴田企業団地)の事前調査として穴田第2・3・4号古墳の発掘調査が実施された。域内の西端の民地の1号墳と北端の5号墳は現状保存された。2号墳は標高138mの稜線に築かれ、東西径12m、南北11mの円墳で、横穴式石室は長さ7.1mの玄室と羨道、高さ1.1mまでの側壁と片袖形の奥壁は遺存していた。平瓶・蓋抔・高杯片と金環3個が出土した。3号墳も径12mほどの円墳であるが、石室の一部を残して大半が破壊され、出土品も残っていなかった。4号墳は天井石を除いて横穴式円墳の保存状態がよく、高さ1.5mまでの側壁・奥壁の花崗岩は残されていた。出土品は高杯・蓋杯・平瓶や金環・鉄鏃であったが、羨道の焼土面に中世の山茶碗が複数出土した。
昭和46年・47年には穴田第6・7・8・10号墳の事前調査が実施された。第1次調査地に隣接した東側で造成事業の最中に発見されたものが多い。
第6号墳は天井石をのぞいて比較的保存状態がよく、当時の床面には平瓶・高坏や土師壺や棺を置いたと思われる位置に15個体の鉄釘も出土している。第7号墳はその南約60mの位置に在り、6号墳と同じような平面プランと出土品の構成をもっていたが、保存状態はよくなかった。第10号墳の墳丘は自然流出していたが、玄室内からは石棺の蓋が出土している。1次調査の古墳が6世紀後葉から7世紀前葉代に比定されるのに対し、2次調査古墳群のものは7世紀中葉以降の築造と推定された。なお、穴田2号墳は愛知県森林公園植物園内に移築復元、4号墳は原位置で保存展示、6号墳は瀬戸市立南山中学校校庭内に移築復元されて保存されている。
穴田第11号墳は貯水施設造成工事の事前調査で発見され昭和62年に発掘された。主体部は南に開口し、長さ4.8m、最大幅1.3m、残存側壁1.2mの両袖形構造の横穴式石室である。羨道は長さ2.5m、閉塞石が残存した。出土須恵器から7世紀後半代の古墳と比定された。
(参考文献 「穴田古墳群」「同 第2集」「穴田11号墳」)
カテゴリー: 古墳
四ツ谷古墳群
よつやこふんぐん
瀬戸市内田町1丁目
瀬戸市域内には120基余の古墳が確認されているが、その半数が、水野川流域に分布する。水野川が形成した水野谷の最下流部にあるのが四ツ谷古墳群(5基)と隣接する七郎左古墳群(8基)で海抜100m前後の丘陵上に分布する。
旧下水野四ツ谷の採石場で緊急発掘調査が行われたのが、四ツ谷3号古墳で昭和35年12月から同36年1月にかけてのことであった。比高17mの急崖上で崩落寸前の墳丘と石室が発見され、瀬戸市教職員考土サークルによって事前調査された。その結果、封土の殆どは流失しており、石室の石が散乱する状態であったが、両袖の羨道・詰石・柱石・奥壁側に丸味をもった縦長の石室・鏡石・敷石を備えた一般的な横穴式古墳であった。基盤の岩石は古生層の砂岩・粘板岩およびチャートである。石室は全長6m、主軸の方向はN30度Eで、羨道部は長さ2.2m、幅1.4m(奥)・1.3m(羨門)の側壁・床面が残存した。平瓶・提瓶・高杯などの須恵器、青銅製環や刀子などが出土した。また2次面からは四耳壺・山茶碗・小皿などの中世陶器が出土した。
報告書中に隣接する七郎左第3号古墳(旧中水野通称七郎左所在)の情報が載る。個人宅の納屋新築中の壁土採土で須恵器(蓋付・高杯・坩など)7個体、鉄鏃15本、ガラス玉33個を採集している。石室は最下段の石積みが一部残存したが大部分は滅失していたとされる。
(参考文献 「四ツ谷三号古墳」)