第2次世界大戦の戦時下の窯業は、軍需工業への重点的生産強化により転換を余儀なくされた。燃料や軍事物資、特に金属の不足が目立った。それにより、硬貨も金属品の代替品として陶製のものが考案された。それが陶貨である。しかし、実用の一銭硬貨製造に成功したのが終戦前夜であったため、完成した1,300万個(トラック2台分)の陶貨は世に出ることなく廃棄され、ついに「幻の一銭陶貨」となってしまった。
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山口合宿
やまぐちがっしゅく
豊田市の猿投神社の例祭は、かつては旧暦9月9日の行われ、三河、尾張、美濃の180あまりのムラが飾り馬を奉納したことで知られている。それぞれのムラは地域ごとで奉納の単位を作っており、これを合宿と呼んでいる。山口村を中心とする山口合宿には11か村が加入していたという。合宿に参加するムラは、その時々で変遷している。幕末から明治初め頃の状況は菱野郷倉文書で知られているが、それによれば、山口、菱野、本地、今村、狩宿、井田、瀬戸川の7か村である。「猿投山旧記」には、そのうちの山口が「前馬」、今村が「抑え」と記されている。