南菱野町

みなみひしのちょう


昭和54年12月1日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。江戸期の村絵図の「権洞寺洞」「前田洞」と料雨池からの引水による「卯新田」「アラ田」の開田が見られる地域。
→古窯・大草古窯跡群

東菱野町

ひがしひしのちょう


昭和53年12月26日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。
→大般若経・瀬戸市指定典籍155巻
→菱野村郷倉文書・瀬戸市指定古文書1482点
→菱野のおでく・瀬戸市指定有形民俗1体
→菱野のおでく警固祭り・瀬戸市指定無形民俗1件

福元町

ふくもとちょう


昭和53年12月26日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。昭和60年赤重町・菱野の各一部を編入。

弁天町

べんてんちょう


昭和54年12月1日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。幡山中学校の正門横に池があり、これを昔から弁天池と呼んでいる。この池のほとりに弁天様が祀ってあるところから、弁天池と呼ばれている。この池の北側の地を弁天町と呼ぶようになった。

西脇町

にしわきちょう


昭和54年12月1日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。江戸期の村絵図には、西光寺の西に「西脇島」、東に「門前島」の集落が描かれている。

幡中町

はたなかちょう


昭和54年12月1日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。
→古窯・大草古窯跡群

幡山町

はたやまちょう


昭和53年12月26日、大字名を廃止し、町名を設定。もとは菱野の一部。明治の始めごろは菱野村、本地村、山口村の3村となっていたが、明治22年の町村制に際し、菱野村と本地村が合併し幡野村となったが、さらに明治39年の町村合併の際に幡野村と山口村が合併し、両村の頭文字を採って幡山村としたものである。昭和30年に瀬戸市と合併し町名設定の際、村役場(現在の幡山支所)があったところから、村名をとって幡山町とした。