せいれい町

せいれいちょう


昭和56年3月31日大字名を廃止し、町名を設定。もとは山口の一部。昭和45年私立聖霊学園の中学校・高校・短大が名古屋市より移転。以後順次学校施設が建設され、町名の由来となる学園町が誕生。同57年宝ヶ丘町の一部を編入。

宝ヶ丘町

たからがおかちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。江戸期は瀬戸村道の瀬戸坂の登り口にあたった。戦後山口字北山にバス停を設置するにあたり、宝屋という食堂の前にできることとなったので「宝ヶ丘」と名付けられた。町名設定のとき、そのバス停名を町名にした。

田中町

たなかちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。山口川右岸の当地域は旧河道の氾濫原で、条理制遺構が見られた。古地図には多くの古塚があり、中に大将塚と呼ばれる武田信玄方の武将の山田信濃守を葬った墓と言い伝えられるものもあったが、戦後の土地改良事業で消滅した。

掛下町

かけしたちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。1~2丁目がある。もとは山口の一部。弘化4年の村絵図では、「蕨ヶ洞御林」の南山丘陵に薬師堂・新明宮が鎮座、丘陵から大川,(矢田川)に新明川・薬師川が流入する。菱野道沿いの新明下の集落が現在の町内で、当時8戸の農屋と「卯新田,御蔵入」の記載がある。

今林町

いまばやしちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。昔は山口字大坂で、「今林」の郷名とされていたものを町名設定により今林町としたといわれる。
→大津城

上之山町

うえのやまちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。1~3丁目がある。もとは山口の一部。愛知県住宅供給公社による住宅団地造成事業が行われた。造成地の南部分は愛知万博瀬戸会場の一端を担った。
→宮地古墳群・瀬戸市指定史跡
→集落跡・大坪遺跡
→古墳・吉田・吉田奥古墳群
→古窯・広久手古窯跡群
→古窯・南山古窯跡群

大坂町

おおさかちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。昭和60年八幡台1~9丁目の一部を編入。

大坪町

おおつぼちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。一帯は条理制が施行された地。地名も条理に由来する。大坪遺跡は昭和32年に調査され、円形プランの住居址、各種の石器類50個、土器片を検出した。
→集落跡・大坪遺跡

海上町

かいしょちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。「尾張徇行記」には「又支邑ヲ海上洞ト云、是海上洞御林ノ麓ニアリ、本郷ヨリ十八町ホト隔山奥ニアリ」と見える。町端の物見山は『張州府志』に「云武田信玄ノ置戍ノ土塁也」と地名の由来を伝えている。
→物見山城
→古窯・広久手古窯跡群
→山口堰堤

池田町

いけだちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。かつて条理制が施行された地域であるが、戦後の土地改良事業で遺構は消失した。昔、山口川は氾濫、決壊をくり返していた。あるとき、この山口川の北岸一帯が流失してしまい、土地が低く池と化してしまった。このことから、池田と呼ばれるようになったといわれる。