瀬戸市白山町1‐46
平成元年(1989)に埋蔵文化財収蔵施設として設立された。当初は、瀬戸市教育委員会文化財課調査係の施設であったが、平成4年(1992)に「財団法人瀬戸市埋蔵文化財センター」が設立されたことにより、瀬戸市やその周辺の埋蔵文化財を発掘・調査し、出土した遺物を保存し、研究する拠点となっている。
カテゴリー: 行政機関・施設
水野浄化センター
みずのじょうかせんたー
瀬戸市内田町1‐597
下水道基本計画の第一次建設計画で、瀬戸川・矢田川系の西部処理地区と水野川沿いの水野処理地区の二つに分けた下水道の整備を進め、水野処理地区に水野浄化センターを昭和47年(1972)に竣工。
福祉保健センター(やすらぎ会館)
ふくしほけんせんたー(やすらぎかいかん)
歴史民俗資料館
れきしみんぞくしりょうかん
瀬戸市東松山町1
瀬戸市内で発掘調査された考古資料と窯業生産道具を収集する施設として、瀬戸市立図書館が現在の位置に移転した後の建物に昭和43年(1968)に「瀬戸市民俗資料館」(非公開の施設)が開設された。ここに収集・保管されていた民具に加え、昭和48年(1973)の緊急調査で追加された資料が「瀬戸の陶磁器の生産道具及び製品」1,738点が、翌年2月、国の重要有形民俗文化財として指定された。しかし、不幸なことに指定直後の3月4日深夜の火災により資料もろとも焼失してしまった。その後再度資料収集を行い、3,943点の資料が昭和50年(1975)9月に追加指定となり、それを収蔵・展示する施設として歴史民俗資料館は昭和53年(1978)4月に開館した。国からの補助金により歴史民俗資料館とともに民俗文化財収蔵施設、埋蔵文化財収蔵施設も併設された。現在、その機能は瀬戸蔵ミュージアムに移転し、休館中である。
老人憩いの家
ろうじんいこいのいえ
消防本部・消防署
しょうぼうほんぶ・しょうぼうしょ
瀬戸市苗場町101
瀬戸市消防本部は、昭和23年(1948)3月、消防組織法施行により警察から分離した自治体消防制度発足に伴い、瀬戸市常備消防部として7名の職員で業務を開始した。昭和26年(1951)、瀬戸市常備消防部を瀬戸市消防本部と改称し、昭和35年(1960)には瀬戸市消防署を開設した。昭和47年(1972)、瀬戸市の都市携帯が変化してきたことから、消防署の増設が必要となり、消防本部庁舎を瀬戸市苗場町に新築移転するとともに、屈折梯子車を配備して中高層建築物災害に備えた。一方、移転前の庁舎は東分署として末広町に残し、広域的な災害に備えるため、消防力の分散を行った。平成元年度(1989)、消防署東分署移転に伴い品野町に新庁舎を建設。また平成3年(1991)には南山口町に南分署が開設された。
東分署 瀬戸市品野町1‐190‐1
南分署 瀬戸市南山口町143
ねむの森(自然児童遊園)
ねむのもり(しぜんじどうゆうえん)
白岩浄水場
しらいわじょうすいじょう
瀬戸市上品野町1449-2
昭和30年代後半から始まった高度経済成長の波は、本市にも押し寄せ、現有の水道施設能力では、とても対応できなくなることが予測できた。そこで、昭和40年(1965)6月から実施した第2期拡張事業により、白岩浄水場を建設し、昭和44年(1969)6月から給水開始。
西部コミュニティセンター
せいぶこみゅにてぃせんたー
瀬戸市平町3‐142
昭和51年(1976)、平町公園の一角に建設された。鉄骨2階建で総面積は267㎡、1階は事務所と和室、2階は会議室と図書室が備えられた多目的集会施設である。その設置目的は、地域住民が生活の場において自主性と責任を自覚し、地域に生じている諸問題を共同で解決していく、というコミュニティ活動の実践の場を提供するためである。従って同センターの運営についても、全效範連区の町内自治会が母体となった「瀬戸市西部コミュニティ推進協議会」に全面的に委ねられており、誰でも自由に利用できるオープンスペースとなっている。開設以来、コミュニティ活動の輪も年々広がってきており、今日では盆踊り大会、秋まつり等の行事や、ヨガ、詩吟、コーラス等20以上ものサークル活動がコミュニティセンターを核に繰り広げられている。
西部浄化センター
せいぶじょうかせんたー
瀬戸市西原町2‐113
下水道基本計画の第一次建設計画で、瀬戸川・矢田川系の西部処理地区と水野川沿いの水野処理地区の二つに分けた下水道の整備を進め、西部処理地区に西部浄化センターを昭和45年竣工。5万1,000人分の下水を処理できるが、処理量は限界に近づいており、近年は下水道整備を抑制していた。このため、平成26年度に新たに3万6000人分の下水を処理できる施設を増設。海の富栄養化の原因となる窒素やリンを、既存施設の倍以上除去できるシステムも導入した。同時に管理棟なども増設した。