東橋

あずまばし


大正14年(1925)8月、瀬戸地方を襲った未曾有の集中豪雨で、瀬戸川にかかる木橋はことごとく流されてしまった。それ以後、主要な橋のコンクリート橋化が進められ、東橋も昭和2年(1927)にできた。
昭和62年(1987)4月には、1000年余の長い歴史と輝かしい伝統に培われたやきもののまち「瀬戸」にふさわしい景観の整備、シンボル作りのため「やきものを使った街づくり事業」の一つとして、欄干改築工事が竣工した。
デザイン及び陶器の制作は瀬戸陶磁器青年研修会によるもので、陶板を張りつめた親柱と大小50本の陶筒状小柱で構成されており、瀬戸の代表的な釉薬の一つである「志野」「ねずみ志野」を使い、豪快で大らかで、豊かさが表現されたものとなっている。

東橋