愛知県立瀬戸北総合高等学校

あいちけんりつせときたそうごうこうとうがっこう


昭和59年4月、開校。 平成16年4月に 福祉実践コースを開設。
平成21年4月、 総合学科に改編。三河地方からも受験可能になる。平成23年3月、普通科閉科
平成23年4月、瀬戸北総合高等学校に校名変更

愛知県立瀬戸北総合高等学校

瀬戸特別支援学校(さくらんぼ学園)

せととくべつしえんがっこう(さくらんぼがくえん)


瀬戸市萩山台2丁目22番地(萩山校舎、小学部)、萩山台9丁目244番地(光陵校舎、中・高等学部) 平成22年4月1日開校。県内9番目の肢体不自由の児童生徒のための特別支援学校として開設された。小学部から高等部まで一貫教育を行っている。 一人一人の障害の状態や能力に応じた教育を行い、原則として瀬戸市在住の児童生徒を対象。愛称の「さくらんぼ学園」は、さくらんぼのように、「すべての子どもたちが手を取り合って、ともに支え含い、励まし合って学校生活を送ってほしい。」という思いが込められている。

瀬戸特別支援学校(さくらんぼ学園)(萩山校舎 小学部)

本山中学校

ほとやまちゅうがっこう


昭和26年4月1日創立。創立当初、現在の祖東中学校と水無瀬中学校のうち、深川・道泉連区を中心として、分離独立。校名は瀬戸市第四中学校と称した。独立したものの適当な敷地もなく、深川・陶原両小学校を借用して分散授業を行った。昭和26年6月に本山中学校と改称。

本山中学校

南山中学校

みなみやまちゅうがっこう


昭和22年4月1日創立。新学制実施にともない、東春日井郡水野村立水野中学校が同村立水野小学校に併設発足。昭和23年4月瀬戸市水野村組合立南山中学校と改称され、道泉小学校に分校を置き、效範連区1、2年生を収容し、9月より授業を開始した。昭和24年1月、現在地に新校舎2棟が落成し、道泉、水野両分校を設け、新1年生を入れる。昭和265年5月3日水野村は瀬戸市と合併し、瀬戸市立南山中学校と改称。昭和27年7月23日午後9時ごろ、第2校舎より出火し、またたく間に第2、3校舎を全焼。9月より1部制とは水野、效範各小学校に分散、授業を受けた。昭和28年1月第2校舎、3月には第3校舎が完成し、全生徒が同校に戻った。

水無瀬中学校

みなせちゅうがっこう


昭和22年4月1日創立。瀬戸市立第一中学校として開校。しかし、独立校舎を持たないため、陶原小学校の西校舎に本校を置き、道泉小学校に分校を置いて、昭和24年4月1日、瀬戸市立水無瀬中学校と改称。昭和26年4月より、現在地(旧瀬戸商業学校跡)に同校の木造平屋建2棟8教室に新しく木造2階建11教室を新築して分校を廃し、完全独立した。

水無瀬中学校

水野中学校

みずのちゅうがっこう


昭和55年4月1日創立。西陵地区の開発で生徒数が急増し、マンモス化した南山中学校から水野地区、西陵地区を校区として分離し開校。管理棟、普通教室棟、特別教室棟、その間の中庭、マルチホール(多目的ホール)、体育館、プール、柔剣道場がある。

水野中学校

幡山中学校

はたやまちゅうがっこう


昭和22年4月1日創立。開校当初、幡山西・東両小学校との教室を借り、幡山西小学校に本部を置いて発足。現在地に新校舎が竣工したのは昭和24年7月。昭和30年2月、幡山村が瀬戸市と合併し、校名を幡山中学校と改称。

幡山中学校

祖東中学校

そとうちゅうがっこう


昭和22年4月1日創立。創設、分校時代、本校は深川小学校に併設され、瀬戸市立第二中学校として創立された。昭和23年3月、現在地に新校舎を建て、移転したが、教室が足りず分校生活が続いた。昭和24年3月31日に瀬戸市立祖東中学校と改称。昭和26年に本山中学校が新設され校区の変更があり、ようやく本校一つにまとまって授業が行われるようになった。

祖東中学校

品野中学校

しなのちゅうがっこう


昭和22年4月1日創立。学区は品野台小学区と下品野小学区からなり、豊かな自然環境に恵まれた地域である。北部と東部は岐阜県境であり、多治見市と隣接している。

品野中学校

光陵中学校

こうりょうちゅうがっこう


昭和48年4月1日創立。県営菱野団地の建設に伴い、昭和48年に市内7番目の中学校として開校された。原山・萩山・八幡の3小学校を校区とした。創立初年度は、生徒数34名で開校。