熊野神社

くまのじんじゃ


瀬戸市熊野町
祭神は伊弉邪美命である。創建ならびに由緒は不明である。例祭は毎年10月15日に最も近い日曜日に行われている。

金峯神社

きんぽうじんじゃ


瀬戸市上半田川町
祀神は安閑天皇である。創建については不明由緒等も不明である。明治40年(1907)10月26日神饌幣帛料供進社に指定された。大正7年(1919)1月5日より同村の字曲里ヶ根の社白山社の祀神伊弉諾尊、伊弉那美尊を合わせて祀っている。例祭は毎年10月10日に行なわれる。

窯神神社

かまがみじんじゃ


瀬戸市窯神町112
窯神社。文化11年(1818)磁祖加藤民吉が製品の完成祈願の為、太宰府天満宮と火具土神を祀ったことに始まる。民吉没後、郷人がその偉業を徳として、彼の霊を併祀した。全国的に知られる「せともの祭」はこの神社の神事であり、民吉の命日にちなんで毎年9月の第3土・日曜日に開催されている。窯神社には、民吉像(加藤顕成-瀬戸出身の彫そ家)の他、民吉を助けた津金文左衛門顕徳碑と当時瀬戸の窯屋取締役を加藤唐左衛門の顕徳碑が並んでいる。

金神社(上水野町)

かねじんじゃ


瀬戸市上水野町字安戸2405-18
祀神は尾治金連(おわりかねのむらじ)である。尾張金連は天香語山命15世の孫と記され、尾張各地に勢力を築いた。以前は現在の感応寺の鎮守社として水野川を中心とした地域を見渡すことのできる標高150m程の寺地の内にあった。明治に入り神仏分離によって村社となった。昭和の初めに上水野の南東の安戸地区(現在の小金町)から遷座の熱望があり、紆余曲折を経つつ昭和19年(1944)にようやく遷座された。現在は、旧社地は寺地となっており、墓地造成のあおりをうけて往時を偲ぶことはできない。

金神社(小金町)

かねじんじゃ


瀬戸市小金町69
通称「おがねさん」と呼ばれているこの神社は、昭和19年(1944)に水北町から遷座したものである。主祀神は尾治金連(おわりかねのむらじ)である。尾治金連は天香語山命15世の孫と記され尾張の各地に勢力圏を築いた中心的な氏族の一つであった。血族的集団の中心をして氏神を崇拝したがそれがこの神社である。

尾張戸神社

おわりべじんじゃ


瀬戸市十軒町913
 祭神 天火明神(あめのほあかりのみこと)天香語山命(あめのかぐやまのみこと)建稲種命(たけいなだねのみこと)天道日女命(あめのみちひめのみこと)乎與命(おとよのみこと)標高198mの東谷山々頂に鎮座する。東谷山は当国山ととも書き、江戸時代の初代尾張藩主徳川義直の時、この山から「当国明神」と銘の入った鉄筒を堀出したことから名づけられたという。東谷山の西側は一大古墳群となり、名古屋市内の古墳の6割がここに集中し、尾張氏との関係した神を祀りされていて豪族尾張氏との関係をうかがわせるここには興味深い言い伝えがある。その昔天香語山命が東谷山と向かい合う高蔵山にお降りになった。命はこれから尾張地方を治めるのによい土地を嘱望したところ、向かいの東谷山が良いと決められその山に移ることになった。そのとき障害となったのが庄内川であった。渡ることに躊躇していた命の前に白い鹿が現れ、命はその鹿に乗って川に渡り東谷山へ移ったというものである。それにちなんで、おくわ祭には白い鹿の1つがいの作りものを甘酒と一緒に供える。

大目神社

おおまじんじゃ


瀬戸市巡間町1
祀神は深川神社と同神である天照大神と素戔鳴尊との間に生まれた五男三女。創祀は詳らかではないが古くは八王子社と呼ばれ、その鎮座地を「大目森」(おおまもり)と言われた。天保11年(1840)10月に神宝調査のため本殿を調査したところ、「奉納大目八王子宮」と記されてあったことから式内社の大目神社に比定されることとなった。例祭は10月15日に近い日曜日である。

大目神社

岩割瀬神社

いわりぜじんじゃ


瀬戸市鹿乗町
祀神は建速須佐之男命である。創建、由諸については明らかではない。例祭は毎年10月15日直前の日曜日に行なわれる。

岩割瀬神社

稲荷神社

いなりじんじゃ


瀬戸市上品野町北島
祀神は豊受姫命である。社伝は明らかでないが、寛永2年(1625)12月24日創建といわれている。明治に入って指定村社となり明治22年(1889)10月に社殿を造業した。最近では毎年10月15日直前の日曜日に例祭が行なわれる。