天晴寺

てんせいじ


瀬戸市東長根町205
大正6年(1917)10月東春日井郡品野村中品野に天晴山地明閣として建立発足、その後布教の至便と諸事情により大正10年(1921)5月に東印所町31番地に移転、大正15年(1926)12月付で教会設立願が認可され地明閣は日蓮正宗瀬戸教会と公称するに至った。戦後宗教法人令が交付され昭和27年7月15日付にて宗教法人地明山天晴寺と公称するに至った。その後急速な信徒増大と堂宇の老朽化が一段と目立つようになり、昭和45年(1970)12月現在地に移転新築現在に至る。当寺の山号と寺号の由来は、宗祖日蓮大聖人の著作観心本尊抄の「天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得べきか」に由る。当寺は宗祖日蓮大聖人を未法の本佛と仰ぎ所顕の十界互具の大曼茶羅を本尊として二祖日與上人が謗厳誡を守って宗祖日蓮大聖人に仕えて証得したすべてを基範として包括法人たる日蓮正宗の教義を広め、儀式行事を行い広宣伝流布の為、信者を教化育成し、その他正法興隆、衆生済変の浄業に精進する為の業務及び事業を行っている。

天晴寺

長慶寺

ちょうけいじ


瀬戸市駒前町158
柳生山 長慶寺。曹洞宗。本尊は釈迦牟尼佛を祀り、開基は壺井開信、年中行事としては8月下旬の施餓鬼、3月の伏見稲荷春祭等がある。

長慶寺

宗林寺

そうりんじ


瀬戸市門前町6-14
妙延山 宗林寺。大正末期に日蓮宗身延総本山から布教所を開設したのが始まりで、その後龍現院日雨上人が身延山の末寺を移転して宗林寺を建立した。本尊二尊四士像であり、年中行事は新春祈祷会、初午、大黒天神祭、御会式、お盆、毎月の易断がある。またぜんそく封じ、おねしょ、不眠封じにごりやくがあると言う。

宗林寺
宗林寺

全宝寺

ぜんぽうじ


瀬戸市品野町2-40
大松山 全宝寺。曹洞宗。曹洞宗本尊は阿弥陀如来。年中行事としては大般若会、施餓鬼会、地蔵祭などがある。天平6年(735)に天台宗の寺として創設されたが、その後廃寺なったが、雲興寺十四世居雲宗準によって再興 曹洞宗に帰入した。永禄3年(1561)に品野城主戸田直光が尾州井田(現尾張旭市)の城主林三郎兵衛にせめ落とされた際に城跡に地蔵を祀るように言い残した。その城跡が「阿弥陀ヶ峰とりで跡」であり現在の全宝寺である。この時祀られたのは坐像石仏の地蔵尊であり、昔、村の子供がいたずらに地蔵尊にお粂をすえたところ、その年の夏村中の子供が疫病にかかったと伝えられている。以来夏の命日8月24日には老若男女総出のお祭をして村中の安全を祈ったと伝えられる。

全宝寺山門
全宝寺

仙寿寺

せんじゅじ


瀬戸市東菱野町31
福禄山 仙寿寺。曹洞宗。本尊は聖観世音菩薩、寺宝として明兆作の十六大善神画像がある。年中行事として大般若修行、十六大善神まつり、施餓鬼会等がある。開創は赤津雲興寺利翁田大和尚の隠棲として、享保3年(1718)2月にこの地に作られたのが始まりであり。その後廓林天外大和尚によって開山された。市民には十六善寺の呼び名で知られている。また当寺では、昭和48年(1973)に陶生病院・産婦人科におられました亀島先生はじめ、瀬戸の諸先生方々の手によって、『水子地蔵尊』が建立され、今では多くの信者の手によって守られている。

仙寿寺
仙寿寺

泉秋寺

せんしゅうじ


瀬戸市宮里町105
浄土真宗大谷派。開基は昭和24年(1949)に法雲寺住職本多智淳の次男本多千秋によるものである。本尊は阿弥陀如来、行事としては春秋彼岸会、孟蘭盆会、報恩講、修正会などがある。

泉秋寺

善光寺別院

ぜんこうじべついん


瀬戸市西吉田町9
称名山 善光寺別院。浄土宗。本尊としては一光三尊善光寺如来、阿弥陀如来をまつり、年中行事としては施餓鬼会、春秋彼岸会、鬼畜供養がある。昭和3年(1928)長野の善光寺より本尊を迎えて善光寺別院となり、昭和11年(1936)には本堂を建立すると同時に善光寺大本願尼公上人を迎え開山した。

善光寺別院
善光寺別院本堂

如々庵

にょにょあん


瀬戸市穴田町524
1919年(大正8年)開庵、本山は(名古屋市熱田区旗屋町)俗に鉄地蔵と言い青大悲寺と称す。ここは他寺と違い修行を元とし(座禅、托鉢、回向等)檀家を持たず代々本山より派遣せられる庵主によって布教(如来教)に専念する。又主な行事としては毎朝5時30分より、信者が寄り集まり、庵主と共に勤行、御経様(教祖の教え)を聴問する。春秋の彼岸の中日には彼岸法会をする。年毎に隣庵を招き御供養を取り行う。地域の人々からは穴田の〓(女に留)〓(女に全)如来様として、したわれ信心を集めている。

如々庵遠景
如々庵

定光寺

じょうこうじ


瀬戸市定光寺町373
応夢山 定光寺。臨済宗妙心寺派 本尊延命地蔵菩薩、創建は建武3年(1336)鎌倉建長寺で修業し54才の時に当時人跡未踏の地に庵を結び座禅をしていた覚源によってなされた。里人の協力によって本堂を建立する際に雲水たちが定光仏と言う霊像を掘り出した夢を見たので、山号を応夢山、寺号を定光寺とした。本堂は国指定重要文化財である。近くには定光寺公園があり、春は桜の名所として行楽客でにぎわい、また東海自然歩道のコースとしてハイカーにも親しまれている。
※山上には尾張徳川の藩祖義直公の葬られている源敬公廟がある。中国式の異彩を放つ建築であり、左甚五郎の彫刻もある。これも国の文化財に指定されている。

浄源寺

じょうげんじ


瀬戸市岩屋町27
洞谷山 浄源寺。曹洞宗。由緒としては聖武天皇の時代に浄源寺の飛境内地(現在岩谷堂温泉地内)に行基が千手観音、白衣観音、薬師如来の三体を彫刻し石室に安置したことに初まる。この時に野鳥が木の実をくわえて仏前に供えたことから鳥原の地名が出来たと言う。享徳3年(1454)に雲興寺二代天先祖命によって白衣観世音菩薩(行基作)を本尊としてこれまで天台宗を改宗して浄源寺を建立した。岩屋堂の地名は天台宗岩屋山薬師堂の名によるものである。寺宝としては御朱印安藤対馬守一通、天神名号一福がある。年間の行事としては大槃若会、盆施餓鬼、薬師大祭、彼岸会等がある。

浄源寺