囲碁は脳の発達等に良いとされ、子どもの学力向上、お年寄りのボケ防止にも効果があるといわれる。このように老若男女を問わず楽しめる囲碁をより多くの人と楽しみたい、より多くの人に普及させたいと願う瀬戸市周辺の囲碁愛好者が集まり、瀬戸市囲碁連盟は平成3年(1991)9月に誕生した。年3回の一般市民参加の囲碁大会の開催、県内囲碁団体との交流親睦、囲碁普及のための囲碁教室の開設などの活動を行っている。
投稿者: setopedia
瀬戸いけばな協会
せといけばなきょうかい
平成元年、瀬戸市内におけるいけばな団体会員で教授資格者を中心に会員100名程で設立した。毎年、いけばな展を開催し、いけばなを通して地域文化振興活動に努めている。
また、平成13年(2001)には、愛知万博を契機に愛知環状鉄道沿線の春日井市、瀬戸市、豊田市、岡崎市の4市で愛環いけばな協会を設立し、年1回の文化交流の巡回花展を開催してきた。博覧会終了後も解散することなく交流を続け、平成26年9月には松坂屋豊田店にて、設立15周年記念愛環いけばな協会展/第40回華道豊展が開催されている。
瀬戸子供太鼓こまいぬ座
せとこどもだいこ こまいぬざ
瀬戸に生まれ育った子供たちが、故郷瀬戸を心から愛し、進んで瀬戸の街づくりに参加してほしい、そんな願いで、瀬戸子供太鼓こまいぬ座が、平成3年3月に結成されました。
小中学生約40名よりなるこまいぬ座は、瀬戸らしく陶器の太鼓を製作し、瀬戸の“やきもの”1300年の歴史を語る創作曲「瀬戸川太鼓」を演奏して、一躍、こまいぬ座の名を有名にしました。以後「こまいぬばやし」「こまいぬ太鼓」そして和太鼓組曲「瀬戸・海上の森」と意欲的に創作曲に取り組み、現在では出演(演奏)回数は年間30回を数える。また、国内だけではなく、平成8年8月には国際交流基金の海外派遣事業の認定を受け子供太鼓としては初の海外公演に出かけ、フランスのパリ、シャルトル両市で演奏。平成10年の夏には、2回目の海外公演としてイギリス、ポルトガルで演奏。イギリスではホームステイで国際交流を体験、ポルトガルでは、「リスボン万博」会場で演奏し、その様子はヨーロッパ全土にTV放送された。平成12年にドイツ「ハノーバー万博」会場の日本政府館前で演奏、平成18年にシンガポールに渡航し、現地の日本人会主催の「国交40周年記念合同演奏会」に出演した。さらに、平成20年年末チュニジアの「サハラフェステイバル」、平成21年、利川市(韓国)姉妹都市5周年を記念し利川市で、平成22年には中国「上海万博」文化センター内で単独演奏を行うなど国内外で演奏・国際交流活動を行っている。
古瀬戸吹奏楽団
こせとすいそうがくだん
昭和29年(1957)春、古瀬戸公民館成人学級として故西村宰輔氏指導のもと7名で結成された。団員数50名構成。高校生以上社会人一般練習日毎週水曜日午後7時~9時、古瀬戸小学校体育館。第24回JC賞(昭和54年)、県知事、名古屋市長、瀬戸市長、福祉協議会長賞(県・市)公民館表彰等受賞。主な活動としては新年の消防出初式から始まる年間20数回を数える市各行事に積極的に参加している。平成6年に瀬戸市文化協会の“つばき賞”を受賞している。また、永年にわたるボランティア活動が評価され、平成16年に全国で初めて緑綬褒章を授章している。平成26年には、楽団創立60周年を迎えた。
青少年の健全育成と文化の薫りを感じることのできるまちづくりに役立てるようにと、活発な活動している。
末広町商店街振興組合
すえひろちょうしょうてんがいしんこうくみあい
設立は昭和43年(1968)。地区としては末広町1・2・3丁目(尾張瀬戸駅より東へ300mの川南)である。市内で一番規模の大きい商店街である。街区の延長は270m、市内で最初に設置されたアーケード、のちにカラー舗装もされた。車両を通行止めとして来街者の安全性は保たれており、明るい雰囲気の店舗造りと専門店化を促進して楽しみながら買い物の出来る中心商店街を目標に会員は研究・勉強に努力している。それぞれの店は火曜日を定休日としているところが多い。商圏としては深川・古瀬戸・東明・祖母懐連区である。歴史は、昭和初期には、陶磁器の販売店の中に数点の小売店があったに過ぎなかったが、昭和10年(1935)頃より呉服・洋品店が近隣から移転、昭和12年(1937)には発展会が発足され当時としては珍しい鈴蘭燈が設置された。昭和38年(1963)アーケードが完成し、昭和43年(1968)に現在の組織となる。
昔ながらの商店だけでなく、NPOや市民団体の出店、老人福祉施設などもあり、暮らしに密着した商店街となっている。また空き店舗を活用して、賑わいと交流の場「せと末広亭」があり、貸しギャラリーとして、また起業道場などの試みがされており平成18年度には「愛知県ブランド商店街」にも認定されている。また、せと末広亭では定期的に落語の会が開催されている。
平成26年8月30・31日、アーケードの全面改装を記念したイベントが開催された。

品野商店街振興組合
しなのしょうてんがいしんこうくみあい
設立は昭和43年(1968)。地区としては品野地区一円(品野本町を中心として国・県道沿い)である。特色としては市の北端に位置し、地区の広さは市内で最大である。従って店密度は低くなっている。道路の交通量は非常に多く(10、000/1日・12時間)消費者の安全性には乏しいが、地域消費者からは愛好され親近感をもたれている。地区内には大学・ゴルフ場・岩屋堂・陶磁器センターがあり市内はもとより、市外からの吸引施設がある。商圏としては品野連区一円である。歴史としては、国道248、363号線の道路沿いに商店が自然発生的に立地し、昭和23年(1948)、品野本町を中心に商店街活動を行う。昭和43年(1968)12月組織を法人化し消費者保護の街路燈を始めとして、地域密着の祇園祭に協賛行事を開催する。

追分商店街振興組合
おいわけしょうてんがいしんこうくみあい
設立は昭和42年(1967)。組合員は38店。業種構成としては、最寄品10店、買回品8店、その他が20店となっている。地区としては今池町、追分町、汗干町の瀬戸市役所の周辺を中心とする地域である。市役所、公立陶生病院が近くにあることから、食料品店、飲食・サービス業が増加傾向にある商店街である。現状の営業は日曜日を定休日とする店が多い。また、飲食・サービス業は水曜日が目立つ。現在の活動はあまりはっきりした事業はないが、不動山通りの拡張計画と市役所駅前の整備計画があり立地条件が良いので将来明かるい。商圏としては、水南、道泉、西陵連区である。歴史としては国道155号線と旧道の新居線の分岐点となって追分の地名があり、この地名を使って商店街の名前としている。追分の道路拠点から自然発生的に商店が集まり、昭和30年代には孫田町、横山町を含めて商店街活動を行なっていた。昭和42年(1967年)、現在の地区で法人組織とした。

朝日町商店街
あさひまちしょうてんがい
→銀座通商店街振興会の項
中央通商店街振興組合
ちゅうおうどおりしょうてんがいしんこうくみあい
設立は昭和39年(1964)。地区としては栄町・蔵所町・新道町・刎田町・杉塚町・薬師町(尾張瀬戸駅より瀬戸公園まで)である。瀬戸市の中心に位置し、瀬戸川の両側の商店で街区の延長は東西1㎞に及んでいる。北側には銀座商店街・南には末広町商店街があり、この3商店街と主要銀行も加わり中心商店街として顧客の吸引に相乗効果を高めている。業種では陶磁器の卸・小売業者が多く市内外からの人通りが増えている。商圏としては全国・市内一円・深川連区と業種により3分類される。豊田方面、多治見方面、名古屋方面の道路網の中心(記念橋)に、瀬戸川をはさんで商店が自然発生的に立地している。市内で最初に商店街振興組合の法人格を設立した。約1㎞の瀬戸川両岸に街路燈を設置している。

瀬戸南西部商業協同組合
せとなんせいぶしょうぎょうきょうどうくみあい
設立は昭和61年(1986)。業種構成としては、買い回り品業種が中心である。地区としては幡野町・赤重町・新郷町・追分町・高根町松山町の市内南西部を中心とする地区である。特色としては、幡山・長根連区を中心として協同組合を設立し、商店街振興組合とは設立条件を異にしているが、「商店が消費者にサービスする」ことについては同一である。事業目的は“せとカード”として買物の便利性を顧客に提供している。カードの内容は、年々改善され顧客サービスに努めている。沿革は昭和57年頃より未組織である地域に商業団体としての事業活動をするために設立の動きが始まった。消費者の便利性・固定客の確保としてクレジットカードを主力事業としている、当時は愛知県内での事業はなく注目を浴びた。